個室にて

Ars Cruenta

アレルギーと好き嫌いの狭間で

 好き嫌いはほとんどないほうだし、食わず嫌いというのもないのだが、どういうわけか昔からシイタケだけは仲良くなれない。まったく食べられないわけでもないのだが、口のなかであの香りがするとウッとして場合によっては吐きそうになってしまう。両親は「子供のころから中国産のシイタケを食べていたのが良くなかったのだろう」と言うのだが、そういう問題であるようにも思えない。国産のシイタケでもあの香りでウッとなるし、そもそも子供ながらに原木シイタケを「おいしい」と言って気を遣っていた可能性もあるからだ。

 それでも、「じゃあシイタケアレルギーなのか」と言われると、そこまでではないと答えるだろう。別にシイタケを食べることによって肌が赤くなるとか、身体にアレルギー症状が出るわけではないからだ。事態はどちらかというと、パクチーをモリモリ食べられる人がいる一方でどうしてもあの香りがダメだという人がいるのに似ている。好き嫌いの話なのだが、それでも単なる苦手というより身体が受け付けない感じ、と言ったところだろうか。

 私の場合、じゃあシイタケを絶対に食べないように生活しているのかというと、決してそうではない。本当に時々ではあるが、口にして「ああ、やはりキツいな」という経験を繰り返している。別に何度も繰り返せば食べられるようになると思っているわけではないのだが、いつかふとした拍子にただ美味しく食べられる日が来るかもしれない。また、生のシイタケは苦手でも干しシイタケの出汁などは美味しく頂けるので、調理次第では生のシイタケも美味しく頂けるだろうと思っているのである。

 食べ物でもなんでもそうだが、食わず嫌いというのが一番よくない。自分が経験できる範囲を自分であえて狭く線引きしてしまってはもったいない。「私はこれが苦手だから食べません」というのも、経験の裏付けなしにずっと口でそういっていると食わず嫌いのようになってしまう。たまには食べてみて自分が苦手だと確認するのも、苦手だから食べないと主張するためのメンテナンスなのだと思う。

 そういえばずっと前、有名人二人が向き合って何品か料理を食べ、どの料理が相手の食わず嫌いかを当てる番組があったっけか。