個室にて

Ars Cruenta

あの人にチョコを

 ふだん、あまり甘いお菓子を食べない。早朝出勤か夜番の仕事ばかりやっているので、朝は食べるにしても軽くお茶漬けとかになってしまうし、夜番の時は食べずに寝る時間に費やす。そうすると食事が昼と夜が中心になって、夜番の仕事の時は夕方の休憩時間に軽食をとる。こうなると、お菓子を食べる時間がないのだ。もし食べるにしても、帰宅時にジンを飲みながらちょろっと柿の種やおかきを食べるなど、しょっぱいお菓子ばかりで、クッキーやチョコに手が伸びることはまずない。

 ただ、ちょっとした甘いものが食べたくなるタイミングが時々訪れる。たとえばウイスキーを飲むときは、なぜか不思議とクッキーやチョコが食べたくなるし、不意に焼き菓子が食べたくなってしまうときもある。甘いものが嫌いなわけではないのだ。あまり買うわけではないけれど、仕事帰りについつい百貨店やスーパーの甘いものコーナーを覗いてしまう。しかし何も買わずに帰ってしまうことが多いので、顔を覚えられていたら「迷惑な客」か、はたまた「万引き犯の可能性がある要注意人物」になっているのかもしれない。

 そうやってお菓子を見てばかりいて買わないのはなぜだろうと思うとき、いろんなお菓子を見ていて、私はときどきお菓子を食べるにしても、ウイスキーを飲む自分が目の前の商品を食べる姿をそもそも想定していないときが多いように思う。じゃあ何を想っているのかというと、「このお菓子、あの人にあげたら喜ぶかな」とかそんなことばかり考えているのだ。思えば大学生になってから、私はいろんな人にお菓子をあげるのが好きだった。もともとは自信のなさの裏返しのようなもので、目の前の人に付き合ってもらう代わりにせめてお菓子でも、という感じだった。しばしば私のお菓子配りは「餌付け」とからかわれ、実際モースの『贈与論』を地でいくような考えだったが、そこそこいい年になった今では、何か自分の本性のようにときどき誰かのことを思い出してはお菓子を渡すことを想ったりしている。

 もちろんそれを実行すると「負い目」が生じるから、あまりしょっちゅう人に贈り物をするのは良くない。わざわざお返しをくれる人もいて、そのときは「やっちまったなあ」という気持ちになることもしばしばある。ただ、そういう負い目と負い目の連鎖のなかでふと好きな人たちと目が合うと、何かこれも良い御縁だなと改めて思えるのだ。旅に出て誰かへのお土産を想うように、今日もどこかで私は「これ、あの人好きそう」などと想うのだろう。

 お菓子は食べたらなくなってしまう。それくらいの距離感が良いのだと思いつつ、これからは形に残るものも人に渡せたらなと思う。もうだいぶ前になるが、クリスマスにとある友人に瓶詰のマンドラゴラ(なんだそれ、そんなものも世の中にはあるのです)をプレゼントしたら凄く嬉しそうにしてくれた姿を思い出す。形あるものは、お菓子と違って自分を託しているような気持になって、「ちょっと重いかな」と思ったり、お菓子と違って趣味が合わないとなかなか苦しいものがあったりするものだが、いらなかったら処分してくれるだろうくらいの気持ちで、試してみてもいいのではないか。そんな気もする。