個室にて

Ars Cruenta

「ガチョウ屋さん」の想いで

これがすべての始まりだった

 私が初めて台湾を訪れたのは2017年の1月、シーズンオフで安いLCCのチケットを取って台北の町を訪れた。分からないことだらけというか全く知らない環境に足を踏み入れて初めての海外旅行の最初の一日目を終えようとしていた。グルメ屋台が立ち並ぶ寧夏夜市でたらふく屋台グルメやカキの玉子焼きを堪能し、そろそろお腹いっぱいだしホテルに戻ろうかと話していた時、そのお店に気が付いた。

 あまり見慣れない「鵝」の文字。調べたのか観光ガイドを見て意味を知っていたのかは覚えていないが、どうもガチョウを食べさせてくれるお店らしい。台湾に来たらガチョウを食べるのが一つの目標だったし、なんともいえず味があるお店に思わず足が止まってしまう。中国語が分からないので何とか食べたいことを伝えると、身体の大きなお父さんが店の前のテーブルに案内してくれた。

 メニューを見て、とりあえず少しだけガチョウを食べたいと伝えた。お父さんは日本語が分かる人で、「少しだけ」と伝えると、「少しね」と笑い、小さめの皿にガチョウを切って盛ってきてくれた。その味の何とも言えず美味なこと。底に敷かれた台湾バジルと生姜を一緒に食べると、またこれがよく合う。ガチョウも、下の写真に写っているようなモモ肉だけが提供されているわけではない。「下水」と呼ばれる内臓や、脚、頭、皮も食べることができる。ぜんぶ1人前とっていたら食べられないので、お父さんに「少しだけ」と言うと、お父さんはまた「少しね」と笑った。この「少し」という日本語が、私とこのお店の最初に絆になったような気がする。この一夜の経験に味を占めて、私は台湾に来るたびにこのガチョウ屋さんを訪れるようになった。

はじめてのガチョウ

 とはいえ、海外出張があるわけでもないため、旅行で海外に行くのは当時でもかなりハードルが高かった。一年に一度二度、行けるかいけないか。それでも台湾に行けることが決まればちょっとしたお茶菓子を買ってガチョウ屋さんを訪れると、私のことを思い出して、次第に向こうも家族ぐるみで歓迎してくれるようになった。

 紹興酒が飲みたいと伝えると、店の裏手に連れて行ってくれたこともある。階段にずらりと並んだ紹興酒を見せてくれて、どれがいいかと聞いてくれたのだ。その日、お父さんの息子さんは店の奥ですっかり出来上がっていて、此方のテーブルに何かを持ってきたかと思えば干した梅。これを入れると美味しいんだと教えてくれる横で、お父さんが「こいつはろくでなしだ」などと笑いながら呆れたような調子で言っていたこともある。お母さんも大変優しい人で、何度も通っているうちに「サービス」とくらげの冷製やしじみの醤油漬けを出してくれたり、最後日本に帰るときにはハグしてくれたりと、本当にとてもよくお世話になりまくった。

 ガチョウを食べて、小菜をつまんで、ビールと紹興酒をたっぷり飲んだあとは、〆にガチョウのガラからとったスープでラーメンを作ってもらう。このスープがまた絶品で、何度日本に密輸できたらと思ったことか。一度旅行に出かけて、三泊四日で三日三晩訪問したこともあったっけか。

ガチョウスープに好きな麺とガチョウの部位を入れて君だけの最強の〆を作ろう

 ガチョウ屋さんは、こんな具合に相当仲良くさせてもらっていて、単に料理の店というよりも、台湾におけるホームのような関係になっていた。それだけにコロナが起こって台湾に行けなくなったとき、ガチョウ屋さんのことは気がかりで仕方がなかった。電話をかけようにも言葉の壁もあったし、このお店はHPなども持っていない、シンプルなお店だった。だから仕入れられる情報というのも、観光客や現地の人たちの発信によるしかない。数年前まではどうも営業されていたらしいが、この度やっと台湾に行けるという段階になって、Google Mapでお店が出てこないことに気づいた。台湾に行って寧夏路を歩くとき、どこか楽しい気持ちよりも覚悟を決めるような気持で歩いたのを覚えている。

閉店したガチョウ屋さん

 案の定、ガチョウ屋さんは閉店してしまっていた。お父さん、90とか言ってたしなあとか、息子さん、結局継がなかったんだなあとか、シャッターを見ていろんなことを思った。だけど別のお店がまだ入っていないのは不幸中の幸いだったのかもしれない。このシャッターの奥はどうなっているんだろうと思いながらふと見上げると、小さく「あっ」と声が出た。

なぜあるのか分からないシーリング・ファン

たったひとつだけ、ここにあのガチョウ屋さんがあった名残が残っていた。私が初めてこの店を訪れたとき、私たちは屋外の席に通された。その時ずっと不思議に思いながら眺めていたシーリング・ファンが残っていた。屋外のこんなところになぜこいつがいるのか、しかもなぜ回っていたのかは分からない。でもこのファンは最後の最後になって、ここにガチョウ屋さんがあったことを私に確信させる道しるべになってくれた。

 ご夫妻はお店を閉めて、どう過ごされているのだろう。せめて元気でいてくれたらいいのだけど。あんまり名残惜しく、今回のこの度で2軒ほど別のガチョウ屋さんを訪れた。どちらもおいしかったが、あの家族ほど仲良くなれそうな気がしなかった。それは私が過去に囚われているからだろうか。