個室にて

Ars Cruenta

お土産としての調味料

 もう15年以上も前になるか、けらえいこさんの『あたしンち』で子供ながらに読んでとても印象に残っている回がある。作中の母曰く、味噌や醤油といった家庭の味の基礎となるような調味料は絶対にワンランク高いものを買ってはならない。たとえ10円程度高いものでも、その味が美味しくなってしまったら、一度上げた生活ランクを落とすことができなくなってしまう。だから「ちょっといいやつ買ってみようよ」というみかんの主張は受け入れられない。確かそんな内容だったと思う。

 確かに、一度美味しいものを食べてしまったらまた食べたくなってしまうし、それが容易に手に入るならなおさらだろう。しかし、当時から母のこの一刀両断に何となく納得できない自分がいた。お金がかかるのは良くないことかもしれないが、味噌も醤油も地域地域でずいぶんと違う。(当時はこういう言葉を知っていたわけではないけど)白みそと赤みそは全く別物だし、九州の醤油はほんのり甘い。そのなかで「今買っている安いもの」に拘泥するのはいかがなものだろう。

 いつしかこの話が忘れられないまま大人になって、最近になってようやく「最適解」を見つけたような気がする。よく考えれば旅に出かけて「地元のお酒」を買って帰るという話はよく聞いても「地元の味噌や醤油」を買って帰るという話はあまり聞かない。実は答えは、「旅のお土産にその土地の味噌や醤油を買ってくる」なのではないか。それも、道の駅やSAに売っている、観光客向けのオシャレな出汁醤油や味噌ディップソースを買って来るのではない。大抵どういう地域に行っても、その土地で醸造をしている醬油メーカーや味噌メーカーがある。そのなかで、その土地で生活している地元の人が食べていてもおかしくないような値段設定の、スーパーなどでもたくさん売っているような1L・1kg入りの味噌・醤油を買ってくるのだ。

 こうすれば、旅先の「普段は食べられない味」をお土産として持って帰れるし、どうせ味噌や醤油を買わなくてもたいていの人は何かお土産を買うのだ。一回食べておしまいになってしまうお土産と違って、味噌や醤油はしばらくの間使い続けられるという点で饅頭やコロッケより「コスパ」はよい。そして旅先でしか手に入らないし、わざわざ通販で取り寄せるとお金がかかってしまう都合、また食べたくなっても簡単には手に入らない。つまり、なくなってしまえばそれで終わり、いつもの味噌と醤油に戻れる。どうだ母、これなら納得してくれるんじゃないか、と作者のけらさんに聞いてみたい気もする。

 ただ唯一感じているデメリットは、とにかく重い。小容量を買ったら値段もその分割高になってしまうから、醤油なら1.8Lまでいかずとも1L、味噌も1kgくらいは買おうとするのだが、もし両方買ったら(密度はさておき)2kgを持ち歩くことになってしまう。いつしか遠出の際にはエコバッグではなくリュックを背負っていくようになった。とはいえ、持って帰った醤油や味噌は使う前から楽しみだし、使ってみると、どことなく旅先の雰囲気を感じることもできる。ほかに地元でとれた野菜や魚や肉があるなら、調味料も地元のものを使えると、ちょっぴりその地域に近づけたような気持にもなれる。醤油や味噌が美味しくて、醤油や味噌を買いに再び地元を訪れようかという旅のきっかけになることもある。意外と楽しいので、ぜひもっとこういう「お土産」が広まったらいいのになと思う。

「ガチョウ屋さん」の想いで

これがすべての始まりだった

 私が初めて台湾を訪れたのは2017年の1月、シーズンオフで安いLCCのチケットを取って台北の町を訪れた。分からないことだらけというか全く知らない環境に足を踏み入れて初めての海外旅行の最初の一日目を終えようとしていた。グルメ屋台が立ち並ぶ寧夏夜市でたらふく屋台グルメやカキの玉子焼きを堪能し、そろそろお腹いっぱいだしホテルに戻ろうかと話していた時、そのお店に気が付いた。

 あまり見慣れない「鵝」の文字。調べたのか観光ガイドを見て意味を知っていたのかは覚えていないが、どうもガチョウを食べさせてくれるお店らしい。台湾に来たらガチョウを食べるのが一つの目標だったし、なんともいえず味があるお店に思わず足が止まってしまう。中国語が分からないので何とか食べたいことを伝えると、身体の大きなお父さんが店の前のテーブルに案内してくれた。

 メニューを見て、とりあえず少しだけガチョウを食べたいと伝えた。お父さんは日本語が分かる人で、「少しだけ」と伝えると、「少しね」と笑い、小さめの皿にガチョウを切って盛ってきてくれた。その味の何とも言えず美味なこと。底に敷かれた台湾バジルと生姜を一緒に食べると、またこれがよく合う。ガチョウも、下の写真に写っているようなモモ肉だけが提供されているわけではない。「下水」と呼ばれる内臓や、脚、頭、皮も食べることができる。ぜんぶ1人前とっていたら食べられないので、お父さんに「少しだけ」と言うと、お父さんはまた「少しね」と笑った。この「少し」という日本語が、私とこのお店の最初に絆になったような気がする。この一夜の経験に味を占めて、私は台湾に来るたびにこのガチョウ屋さんを訪れるようになった。

はじめてのガチョウ

 とはいえ、海外出張があるわけでもないため、旅行で海外に行くのは当時でもかなりハードルが高かった。一年に一度二度、行けるかいけないか。それでも台湾に行けることが決まればちょっとしたお茶菓子を買ってガチョウ屋さんを訪れると、私のことを思い出して、次第に向こうも家族ぐるみで歓迎してくれるようになった。

 紹興酒が飲みたいと伝えると、店の裏手に連れて行ってくれたこともある。階段にずらりと並んだ紹興酒を見せてくれて、どれがいいかと聞いてくれたのだ。その日、お父さんの息子さんは店の奥ですっかり出来上がっていて、此方のテーブルに何かを持ってきたかと思えば干した梅。これを入れると美味しいんだと教えてくれる横で、お父さんが「こいつはろくでなしだ」などと笑いながら呆れたような調子で言っていたこともある。お母さんも大変優しい人で、何度も通っているうちに「サービス」とくらげの冷製やしじみの醤油漬けを出してくれたり、最後日本に帰るときにはハグしてくれたりと、本当にとてもよくお世話になりまくった。

 ガチョウを食べて、小菜をつまんで、ビールと紹興酒をたっぷり飲んだあとは、〆にガチョウのガラからとったスープでラーメンを作ってもらう。このスープがまた絶品で、何度日本に密輸できたらと思ったことか。一度旅行に出かけて、三泊四日で三日三晩訪問したこともあったっけか。

ガチョウスープに好きな麺とガチョウの部位を入れて君だけの最強の〆を作ろう

 ガチョウ屋さんは、こんな具合に相当仲良くさせてもらっていて、単に料理の店というよりも、台湾におけるホームのような関係になっていた。それだけにコロナが起こって台湾に行けなくなったとき、ガチョウ屋さんのことは気がかりで仕方がなかった。電話をかけようにも言葉の壁もあったし、このお店はHPなども持っていない、シンプルなお店だった。だから仕入れられる情報というのも、観光客や現地の人たちの発信によるしかない。数年前まではどうも営業されていたらしいが、この度やっと台湾に行けるという段階になって、Google Mapでお店が出てこないことに気づいた。台湾に行って寧夏路を歩くとき、どこか楽しい気持ちよりも覚悟を決めるような気持で歩いたのを覚えている。

閉店したガチョウ屋さん

 案の定、ガチョウ屋さんは閉店してしまっていた。お父さん、90とか言ってたしなあとか、息子さん、結局継がなかったんだなあとか、シャッターを見ていろんなことを思った。だけど別のお店がまだ入っていないのは不幸中の幸いだったのかもしれない。このシャッターの奥はどうなっているんだろうと思いながらふと見上げると、小さく「あっ」と声が出た。

なぜあるのか分からないシーリング・ファン

たったひとつだけ、ここにあのガチョウ屋さんがあった名残が残っていた。私が初めてこの店を訪れたとき、私たちは屋外の席に通された。その時ずっと不思議に思いながら眺めていたシーリング・ファンが残っていた。屋外のこんなところになぜこいつがいるのか、しかもなぜ回っていたのかは分からない。でもこのファンは最後の最後になって、ここにガチョウ屋さんがあったことを私に確信させる道しるべになってくれた。

 ご夫妻はお店を閉めて、どう過ごされているのだろう。せめて元気でいてくれたらいいのだけど。あんまり名残惜しく、今回のこの度で2軒ほど別のガチョウ屋さんを訪れた。どちらもおいしかったが、あの家族ほど仲良くなれそうな気がしなかった。それは私が過去に囚われているからだろうか。

「ヤクザの未来」

※この記事には「龍が如く8」のネタバレが含まれます。

 

 「龍が如く7外伝」で、ヤクザの夢を語る獅子堂に桐生は、ヤクザの夢なんてものは日々を一生懸命に生きる(普通の)人たちからすればゴミのようなものだと一蹴する。外伝をプレイしているときには桐生がなぜこんな言い回しをしたのかよく分からなかったのだが、まさかこの発言がそのまま8のキーワードになって来るとは。ネレ島というブラックボックスを用いてパレカナは世界の核廃棄物という厄介なゴミを、海老名はヤクザという社会のゴミを処分しようとする――この「ゴミ処理」が8のストーリーラインを構成している。

 海老名は最初、ヤクザの「社会復帰」を口実に極道組織の再編に乗り出す敏腕幹部として登場する。しかし彼の本当のねらいは、自分とその母親をろくでもない目に遭わせた父・荒川真澄とヤクザたちへの復讐にあった。海老名は再就職先を担保すると言って元極道たちを招集し、表向きは彼らをネレ島の作業員として働かせるふりをしつつ、憎しみの対象として処分するつもりでいた。海老名の目的を知った二人の主人公は、それぞれハワイと日本で最後の戦いに向かう。

 最後の戦いの前、桐生は春日に自分が「ヤクザの過去」を引き受け、春日に「ヤクザの未来」を託す。この言葉だけではプレイヤーは、ヤクザの過去や未来が何を指しているのかよく分からないだろう。しかし最後までプレイをしてみると、桐生は海老名にヤクザがやってきたこと(過去)を謝罪する。そして海老名に、ヤクザたちを殺さないように懇願する。そして春日はネレ島に侵入しネレ島で起こっていることを暴露することで、結果的にヤクザたちがネレ島で殺されないようにする(未来)。ヤクザの未来とは、組の存続や看板の問題ではなく、個々人の元極道たちが死なずに生き続けることを意味していたように思う。

 では、これまでろくでもないことをしてきた極道は恨まれて当然なのに、どうして生きなくてはならないのか。桐生は海老名に、極道モノが生き続けなくてはならない理由を「償い」に求める。極道が他人にやってきたことはどれほど恨まれても仕方がない。しかし極道はそれに対し償いができる。償いをするためには生きていることが条件となる。だから灰色の道を歩き続けるためにも殺されずに生きなくてはならない。決死の戦いの後、桐生は滔々と以上のようなことを述べて、海老名と向かい合う。

 海老名は結局、桐生が倒れてしまうことでそれ以上言い返すことなく物語から立ち去ってしまう。しかし、プレイヤーとして、桐生のこのパワープレイはやはりちょっと疑問が残るのではないだろうか。そもそも海老名の怒りの原点は、ヤクザたちが償いをしてこなかったことにあるのではないか。ヤクザに話を限定しなくても、自分がやったことの責任も取らない人間に殺意に近い怒りを覚えて、「こいつらに償いをさせるために生かす必要がある」と言われてどれだけの人が納得できるのだろうか。海老名の言うとおり、「ゴミはゴミとして粛々と処分される」ことを望む人は多いだろうし、本人に償いの意志がないと判断されるがゆえに刑法による処罰を求める人も多いだろう。

 桐生の言う「ヤクザの未来」が本当に見えてくるのは、灰色の道を歩むべき個々人が桐生のように真っ当に灰色の道を見据えるときでしかない。そのときまで「償い」を待つ人は待ち続けなくてはならないのだろうか。それとも桐生のようにすべてを背負い込んで涙を流して謝ってくれる人がいれば、償いを待つ人は少しでも救われるのだろうか。物語の最後、桐生は癌の治療のために診察室を訪れる。彼が生きることで、海老名は救われるのだろうか。もしそうだとして、彼は、これからどう生きるのだろうか。ヤクザの未来を肯定的に描き出そうとする本作の答え方は、悪党溢れる実世界を生きていくうえで、これからじっくり検討されなくてはならないだろう。

「みんな違って、どうでもいい」

 地元に長くいると、どうしてもついつい通ってしまうお店というのができてくる。我が家はあまり一人で外食をすることがないので、友達と会ったり会社の人と会ったりするときに、よくとある居酒屋に行く。洋風の色々なものを置いていながら、大都市にある「バル」とか「洋風居酒屋」ほど肩ひじ張らない、いわゆる「二軒目」のお店だ。先日数少ない知り合いとそこで飲んでいるときに、その人がそのお店を評価するために口にしたのが、タイトルの「みんな違って、どうでもいい」なのだ。考えてみるとなかなか含みのある言葉なので、今日はこの言葉の意図を私なりにパラフレーズして書き綴ってみたい。ただはじめに断っておくと、「どうでもいい」と言えば時に「価値がなくてとるに足らない」という意味で使われることがある。しかしこの場合の「どうでもいい」はそのような意味で用いられているわけではない。むしろ価値中立的に、「どうあっても構わない」くらいの意味で使われている。

 その居酒屋ではいつも、他の多くの居酒屋と同じようにそれぞれのテーブルがそれぞれの話題で盛り上がっている。突然常連がギターを弾いて歌いだしたかと思えばカウンター席で山手線ゲームが始まり、別の日には野球の結果が気になる客はテレビのチャンネルを変えてもらって結果を見届ける、トークも酔っぱらいが蟻の全重量と人間の全重量どちらが重いかを延々話し合っていたり、私のテーブルでは「ピピンには大中小いるんだよ」(世界史の話)みたいなことで笑ってみたり、まるで統一感がない。

 ところで「みんな違って、みんないい」という言葉がある。この言葉は多様性をもっと肯定しようという意図で用いられるのだが、よくよく考えるとちょっと変な言葉だ。なぜならこの居酒屋で今この言葉を発しようとすれば、それぞれのテーブルの話題について「あなたたちのその話もグッド!」と「あなたたちは高く評価されていますよ」と思わなくてはならない。でも居酒屋の一人間として、私はそもそも人さまがしている話を評価づける立場になんてないのだ。多様性というのは、違いを確認・肯定されて広まっていくものではなく、(少なくともこの場では)スタート地点であり、自分が入った居酒屋でだれが何の話をしていようと、興味をそそられたり逆に迷惑に感じたりすることさえなければ「どうでもいい」。ギターが響き、手拍子が起こり、野球の中継が流れ、酔っぱらいが会計でもめている。みんな違うことを物理的にはまざまざと見せられつつも、それを受け入れるかどうかを強制されることもない心地よさ、それぞれのテーブルに統一性はなくとも店全体としてはひとつ空間(店の味、といってもいいだろうか)が出来上がっている感じが、「みんな違って、どうでもいい」の意図するところなのだと思う。

 そういえば唐突だが、民俗学者宮本常一の遺著に、昔から日本の民衆は物見高いという話が出てくる。民衆は公家の儀式・お祭りなどにも忍び込んで見物をする、だけど公家の有職故実と自分の生活は別物だと意識して、自分はトラブルに見舞われないようにしっかり距離はとっておく。この物見高さは居酒屋の一隅にも残っているのだ。「みんな違って、どうでもいい」空間の中で、不意に誰かの話が耳に入ってきてクスリと来る。クスリときたからといって、別に知らない人と話に混じるでもなく、かといって興味があれば耳をそばだてる。私たちのどうでもいい話も、ふと誰かにクスリと笑われているだろうか。

明日のごちそうを作るつもりで

 我が家の人間は、みな揃って食い意地が張っている。趣味は食べることだから、毎日夕食に頭を悩ませ、ついつい馬鹿みたいな量をつくりがちだ。たった三人しかいないのに天ぷらはうずたかく大皿二皿くらい上げてしまうし、たこ焼きも市販のたこ焼き粉ひとふくろをすべて作ってしまう(メーカーによるとたこ焼き100個分!)。カレーやシチューも、具沢山にして当たり前のように一箱分たっぷりと作り、食べたいだけ食べる。食べるものがたくさんあるのについついおいしそうなブリがあると刺身にしてしまうし、鍋は〆まで辿り着けないほど大量の具材が入ることもざらだ。足りないよりはお腹いっぱいしっかり食べられるほうが良い。ただ、そんなことをしていると当然、全部が全部食べきれないということがしばしば起こる。

 人に食卓の写真を見せることはあまりないのだが、こういう「食べきれない量」に対しあまり人々は良い印象を持っていないのかもしれない。というのも、食べきれず残ってしまったものを「残りもの」とか、場合によると「余りもの」と言う人がたくさんいるからだ。「残りもの」は文字通りの表現だが、「余りもの」は「本来の食事で食べられず余ったもの」、本当は食べられるべきだったのにそうじゃないものを指すようなイメージがある。

 食べきれなかったご飯に悪いイメージがついて回るのは、「次の日も同じものを食べないといけない」という考えが背景にあるのかもしれない。確かに何にしたって(カレーやおでんは例外だろうか)、一日目より二日目の方がクオリティが劣るように見える。刺身はちゃんと処理をしないと痛むし、アツアツの唐揚げより二日目の冷めた唐揚げが好きという人は確かに少ないだろう。しかし、だからこそ二日目には一日目ならまずやらなさそうなことをするという楽しみがある。買った刺身をいきなり漬けにすることは勿体ないかもしれないが、二日目なら抵抗はなくなるし、わざわざ天ぷらうどんのために天ぷらを揚げることはまずないが、二日目なら「この天ぷら、うどんに入れてみようか」となる。今日食べられなかったものは、明日のお昼ご飯になる材料なのだ。つまり今日のご飯を用意しているうちに、たまたま明日のごちそうの下ごしらえができている、私はそう考えたほうがよほど気分が良いのではないかと思う。

 お鍋で〆まで辿り着けなかったら、そのスープやなかに残った具材は極上の明日のためのスープなのだ。うどんやラーメンを入れるだけで、お昼のごちそうとなる。それと同じように、揚げすぎた揚げ物は翌日のうどんのトッピングやどんぶりに、食べきれなかったお刺身は漬け丼に、カレーやシチューはオムライスやカレーそばのベースに、食べきれなかった焼き魚は翌日混ぜご飯の主役に、と、本当にちょっとした工夫一つで昨夜の主役はお色直しをしてお昼の主役に再び立ち現れてくる。

 それでもそのひと工夫が大変だと思う人は、とりあえずなんでも「リメイク」とつけて検索をかけるのもよいが、「一日目の料理名」+「丼」「うどん」で検索をかけるのはどうだろう。ご飯もうどんも、びっくりするほど何でもかんでも受け入れてくれる。「リメイク」だと昼には結構手間のかかる料理レシピも混じって来るが、丼やうどんは割と簡単に作れる場合が多い。なんとあのたこ焼きだって、「うどん」をつけて調べれば「たこ焼きうどん」なるものがたくさん出てくるのだ! 

一日目のたこ焼きも・・・

なんとうどんのトッピングにする「たこ焼きうどん」なるレシピがたくさん出てくる

 

心の余裕のバロメーター

 忙しいとついついおろそかになってしまうことがあるように、気持ちに余裕がないとついついやらずにほったらかしにしてしまうことがある。人によって色々違いはあるだろうが、以前誰かに共感してもらったのは、財布の中のレシートだ。中から取り出していらなくなったものを捨てるだけの作業なのに、気が塞いでいるときはどうしてもレシートの束を取り出す気持ちがなくなってしまう。それでも日々の買い物はするし、買い物をしてレシートを受け取っていると、だんだん財布が膨れてくるというわけだ。(もちろん元々の性分でいつも財布が爆発しそうなくらい膨らんでいる人もいるだろう。)

 あと、「今ちょっとやられているな」と感じるのは、メールボックスにあるいらないメールが未読のまま溜まっているときだろうか。GmailSNS関連やコマーシャル関連のメールを自動で振り分けてくれるのだが、それでも数日のうちに未読のメールが10件、20件と溜まっていくと、心が疲れているんだなと思うのだ。訳あって一時、メールを見るのが嫌になるような出来事が続いて以来、メールボックスの未読の数字は心の疲れのレベルのように見えてくる。(これも、そもそも「未読のメールを消さないといけない」という点に共感してもらえない人もいる。)

 そんなこんなで、誰しも一つや二つは、「あ、私疲れてるな」と分かる心の余裕のバロメーターのようなものがあるらしい。ただ、バロメーターはどこまでいってもバロメーターに過ぎなくて、気の重いままバロメーターの側をいじって心がどうなるわけでもない。たとえば無理矢理気合を入れてレシートを捨てたり、未読のメールを確認していらないものを削除したりしたところで、心は余計に疲れてしまう。気温計をいじっても気温は変わらないし、むしろ気温が分からなくなってしまうのと似ている。大切なのはバロメーターが異常値をはじき出したときに、しっかりと心を休めるようにすることなのだろう。

 分かっちゃいるのだが、これがなかなか難しい。いかんせんバロメーターの存在に気づいてしまい、異常値をたたき出していることを意識してしまっても、うまく自分の心をコントロールできないことがままある。一時的に嫌なことから逃げ出すことは出来ても、嫌なことを思い出すことはなかなかやめられないし、自分のご機嫌を取り戻すための方法というのは、大抵金か時間、あるいはその両方が必要になることが多い。そうこうしていると、バロメーターの数字を見て何の対応もできないこと自体がストレスになってしまう。

 そんなとき、私はときどきバロメーターを一時だけ見えないところに置いてしまう。財布は持ち歩くけど、決済は財布のままクレジットのタッチ決済で済ませたり、タブにGmailを出さないようにしたりして、バロメーターのことを気にせず過ごして心を立て直す。今日もスマホのメール同期を解除してから仕事に向かう。これでちょっとはご機嫌に過ごせるだろうか。上手に自分のご機嫌を取れるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

世界は形見であふれてる

 仕事をするとき、いつも着けている時計がある。正確な値段は分からないが私からするとすごく高価なCITIZENの時計で、恐らく見る目のある人が時々驚いた様子で「若いのにすごく良い時計を着けていますね」などと言ってくれる。ただ、この時計は私が着けるにはあまりにも大きすぎる。きっと腕時計をしたことのある人なら誰しも、私がその腕時計を着けていると怪訝に思うんじゃないかと思うくらい。時計のわっかから腕の直径を差し引いて、2cmくらいの隙間があくくらい、私には大きすぎる時計なのだ。そう、これはもともと私の時計ではない。お世話になっている人の旦那さんの形見として譲り受けたものなのである。

 実は、旦那さんと特別仲が良かったわけではない。面識はあったが挨拶をするくらいのもので、奥さんの方にいろいろと教わりに行っていたのだ。ただ、ものすごく大きな人だったのは何となく覚えている。大きな人だが朴訥としているというわけでもなく、気さくとまではいかないが、安らかに過ごしている感じだった。そんな旦那さんがある日突然急死した。正確な原因は恐らく最後までわからなかっただろうが、そんな人の時計をあるとき、「良い時計だからあなたが持っていきなさい」と渡されたのだった。

 実は冒頭に腕時計を着ける話をしていたが、最近、仕事中はポケットの中に入れてしまうことが多い。どうしても私にはぶかぶかで、激しく動くと腕をするすると時計がスライド移動してしまうのだ。ある日、親切心で知り合いが「時計を短くしてもらえばいい」と言ってくれたことがあった。ただ私はその時即座に、「これは形見の時計だから余り変にいじりたくない」と答えていたのだった。私にフィットさせるようにするのは確かに簡単なのだろうが、そうすると、あの大きな旦那さんの姿を忘れてしまうような気がしたのだろう。

 思えば、まだ御存命の方からでも、人からもらったものというのはたくさんある。友人からもらったプレゼントから亡き祖父の使っていた財布まで、そのひとつひとつにその人の思い出が何かしらの形で詰まっている。形見というとどうしても大切な死者の持ち物というイメージが強いけれど、それを見てその人を思い出すようなもの、くらいの軽い意味で捉えるならば、一つ一つの品物が持つインパクトに強弱こそあれど、世界は形見であふれていて、独りぼっちの時でも、ふとそうした品を見ることでどこか人の名残を感じられるのだと思う。

 とはいえ物はいずれ壊れたりすり減ったりする、というのも事実ではある。もう2年くらい前か、「もういい加減捨てなさい」とボロボロになった三つ折りの財布を捨てて、L字ファスナーの新しい財布を買った。別に特段仲が良かったわけではないものの、祖父から譲り受けた財布で、おじいちゃん子だったというより単にデザインが気に入ってボロボロまで使っていたものだ。今使っている財布とは似ても似つかない財布だったが、自分で買ったはずの財布を見ると本当に時々、あの財布のことを思い出す。物はなくなっても、形見の記憶は新しい財布に引き継がれているのかもしれない。