個室にて

Ars Cruenta

小ネタ

 世の中には、普段あまり気にしないでいても、よくよく考えると不思議なことがたくさんある。今朝、新しいデンタルフロスをあけることにした。そこには「初心者でも使いやすい」みたいなメッセージが書かれていて、となりには自動車でおなじみの初心者マークが付されていた。このフロスは何度か同じ物を買っていたのだが、歯茎をごしごししながら、ふと「初心者マークはおかしくないか?」と思ったのだった。

 というのも、「初心者マーク」をつける人は、いずれマークを外して並のドライバーになっていく。すると私はいずれ、並のフロス使いとなって、今使っているY字フロスではないフロスを使うようになっていくのかと思ったのだ。車の運転で不慣れな人は初心者マークをつけっぱなしにするのかもしれない。でも、私がこのY字を使い続けるのは単にそれが便利だからであって、ほかのフロスを使うのが怖いからではない。するといよいよこの初心者マークが不思議になってきて、最後は少し可笑しくなってしまった。

 似たようなギャップをつい最近経験した。スーパーの冷蔵コーナーに「野菜一日これ一本」という100mL紙パックくらいの製品が売っていた。そのあとに売り場をのんびり見ていると、今度はドリンクコーナーに先ほど見た「野菜一日これ一本」の800mL入りくらいのペット容器が売られていた。

 ご察しの良い方はもう私の言いたいことはお分かりの通りで、いくら製品名とはいえ、「これ一本で済む」を売りにしている割に、「一本」の基準が異なりすぎるのだ。実はこの商品を子供のころ飲んでいたときがあって、そこそこ美味しかった記憶はあるのだが、まさかペット容器の方は色が同じでも何倍も希釈されているのだろうか。人に勧めるときは「ペットより紙の方がお腹タプタプになりませんよ」などと言わなくてはならないのだろうか、などと、またくだらないことを考えてしまった。

 そういえば先日初めてお会いした御仁が公園のバーベキュー禁止について面白いことを仰っていた。火を使用してのバーベキューが禁じられている自治体はたくさんあるのだが、それなら携帯用の蓄電器からホットプレートに繋いで電気でやればいいじゃないかというのだ。そして実際、電気ならOKという自治体もあるのだそう。ごみ問題やにおいなどバーベキューを取り巻く問題はいろいろあるから一概には言えないけど、バーベキューにあまり関心のない私にとっては目からうろこで、「そこまでして」と思いつつ、人間なんでも考えるものだなあと面白く思った。

 結論も何もないのだが、こういう話を身の周りにしても、あまり面白がってくれないことが多い。能天気のように、こんな馬鹿らしい話を楽しめるのは一種の才能か、あるいはこんな馬鹿げたことを考え続けた結果身についた心の癖らしい。ただ、辛くて痛いより、楽しくて笑えることの方がより良いのではないだろうか。ちょっとした面白さを生活の中に見いだせるよう、これからも生きていきたい。それだけ。

お悔み

 自分もそこそこ良い年になったのだなと思う一つのきっかけとして、お世話になった人の訃報に出くわすということがちょくちょくある。私は人づきあいがあまり上手じゃなくて、しょっちゅう会う人の訃報に接することはほとんどない。むしろ「最後にお話したのは数年前かしら」というような人の訃報にふと接し、不思議な気持ちになることの方が多い。

 世話になった人が死んだのだから、普通は悲しく思う方が人間の心理としては当然だろう。ただ私の場合、その時点で哀しみを覚えることはほとんどない。「ああ、亡くならはったんや」という事実確認だけが先行して、どこか上の空になる。だって普段会っていないのだから、相手が死んだってダイレクトに「もうあの人に会えないのだ」とまで思えない。ただ訃報を聞かされてから毎日虫食いのように、ふとその人のことを思い出すたびに「ああ、もうあの人とお話することはできないのだ」とだんだん哀しく、そして辛くなっていく。

 こんなブログをしたためているのには訳があって、近日、中高とお世話になった先生の訃報に接し、それどころか追悼文を依頼されてしまった。ものすごく正直に言えば私はその先生のことがそんなに好きじゃなかったし、教える教科も好きじゃなかった。ただ、「亡くなった」と聞くと、不思議と色々な思い出が湧きだしてきて、良い思い出も悪い思い出も、率直に書いてやろうと思ったのだった。率直に書けば書くほど、いろんな思い出がまた蘇ってきて、死んだ後の相手が昔対面していた人よりリアルに感じられることさえあって、少し怖くなったことさえある。

 誰か私が滅多に会わない知り合いAさんがいたとして、Aさんの訃報に接しなかったら、私はAさんのことを思わないかもしれない。それなのにAさんの訃報に接すると、不思議とAさんのことを今更考えてしまう。後悔先に立たずというけれど、後悔しないとその人のことを思わない私は薄情なのだろうかと、最近度々思う。身体がボロボロの私が死んだって誰も何も思わないだろうとずっと思ってきたが、私が死んだら誰かが何かを、私のように思うのだろうか。もしそうだったら「そんな無駄なことやめとけ」とぜひ言いたいが、残念ながら死者の声は生者に届かないのが一般的らしい。

まどろみキッチン、風のキッチン

 普通のサラリーマンと違ってとにかくたくさんいろんな仕事をしていることもあって、起きる時間・寝る時間は日や曜日によってまちまちだ。6時に起きて仕事に出かけて昼過ぎに終わることもあれば、お昼に起きて夜まで働くこともある。ただどちらも共通項があって、とにかくどこかでご飯を作って食べないといけない。食べることが生きがいのような人間だからか、最近朝や夕方にちょっと変なご飯の作り方をするようになってきた。

 たとえば午前6時起床なら、簡単にパンを食べるとか、冷ごはんでお茶漬けというのが一番簡単に済むだろう。ところが最近、私は朝起きて眠いなか、いつの間にかもう少し手の込んだものを作っている。突如白だしを薄めて雑炊を作り始めたり、素麺を湯がいてチョジャン(韓国酢味噌)で和え始めたり、少し余裕のあるときだと、昨夜のお鍋を魔改造して親子丼を作ったりしているらしい。どうしてこう自分のことなのに突き放したような書き方をしているかというと、食べた記憶はあっても作った記憶がなくなっていることがしばしばあるのだ。

 おそらく起きたときには、何か食べたい味があるのだろう。その味をイメージして私はいつの間にかキッチンに立っている。そしてその味を作るために必要なものを知らず知らずご飯か素麺かで選んで、鍋を動かしているようだ。ただの卵かけご飯でも、写真を見返して記憶を思い出すと、タバスコと肉味噌を加えていたり、意外とやんちゃなことをしている。まどろみのなかいつの間にか作っている料理のことを揶揄して、「まどろみキッチン」と最近は呼んでいる。

 他方で、昼からの仕事では最近、休憩が夕方になることが多い。午後1時に昼食を食べて午後4時休憩だとすると、3時間しか空いていないので「ちょっとお腹は空くけどそこまで食べなくても」という中途半端な感じになってしまう。そこで最近は昼食を抜いて仕事前は果物などで済ませておいて、夕方に昼食を食べることが多くなっている。

 さすがに少しは働いた後の食事なので、まどろみキッチンのように記憶がとんでしまっているということはない。ただ、結構大忙しだ。勤怠を切ったらすぐに職場から家に帰って(走って3分!)、それまでに考えていた、主に丼ものを作る。ピリ辛親子丼とか、福井風醤油かつ丼とか、そういったものが作りやすい。休憩は1時間しかないので、休憩が始まってから風のように駆け回り、10分経過したくらいで食卓に着く。それを大急ぎで食べて、別の仕事の準備をして再び職場に戻る、そんなことをしたりしている。

 まどろみキッチンが本能に従った料理なら、この言わば「風のキッチン」はいかにうまく料理を作って食べるかという、知性を無駄に用いたゲームのような面白さがある。これだけ聞いてもらうと慌ただしいことこの上ないが、今のところ私は結構このゲームを面白がっている。なるべく手間をかけずに食べたいものを食べる、そして食べたらしっかり働く。意外とこれも、バランスがいい働き方なのかもしれない。

 朝も夕方も不思議なキッチンだが、もちろん、ときどき腰を落ち着けてゆっくり家にあるもので作り置きを作りたくなる時もある。あまり何も考えず、お酒を飲みながら適当にいろんな料理を作るとき、何となく豊かな気持ちになる。ああ、私は食べることも、食べるものを作ることも、好きなのだなと、どこか素直に思えるのだ。

走る

 昔は朝ドラなんて興味が全くなかったのだが、たまたま見ていた「虎に翼」が面白く、今期の「あんぱん」は知っているブルワリーの方が推してパンを使ったビールまで作り出したとのことで、初めて第一話から見ている(再放送の「カムカムエヴリバディ」ももはや終盤だが、なかなかの名作だ!)。時代物朝ドラのOPの印象というと当時の衣装に扮したヒロインが描かれる印象があったが、最初にOPを見てびっくりしたのが、朝ドラヒロインが本編とは全く違う真っ白で現代的な装いでCGだらけの町を疾走するシーンだった。彼女の踏みしめた足形に穴があいて、ヒロインが走る様子が描かれる。その様子を見ながら、「きっとこのドラマにとって、『走る』という行為はとりわけ大事な動作なのだ」と誰もが得心の良くOPになっていたかと思う。

 別に今後の展開を予測するわけではないが、「走る」がテーマになるのはなぜだろうと、それからしばしば考えるようになった。「走る」というのはそれなりに健全な体なら誰にでもできる動作だけど、しばしば物語のテーマになっているような気がする。「~のために突っ走る」のような表現が用いられることもある。

 少ない経験と知識からまず考えると、小さい子供はまず、走ること自体に喜びを感じる。初めて自力で立ち上がる子供が笑顔を浮かべるように、初めて走れるという経験はそれ自体が特殊で嬉しいことで、子どもが突然走り出してキャッキャと喜ぶのも、きっとこの走ること自体の楽しみが関係しているんだと思う。そうじゃないと、大人も突然走り出してキャッキャ言っている可能性を考えないといけなくなってしまう。

 しかし次第に走ることが当たり前となり、走ることにそれなりのエネルギーが必要だということを知っていくと、そして(少なくとも現代では)1500m走などで走ることの苦痛を知っていくうちに、だんだん人は無邪気に走らなくなる。走らずとも済むならば、きっと誰も走らなくなっていく。街中で走る人が少ないのはその証左だろう。なら、その少数派はなぜ走るのか。

 それは恐らく、「走らなきゃいけない目的」があるからじゃないだろうか。電車の時間に間に合うため、誰かに会おうとするため、誰かを助けようとするため、勝負に勝つため、そして時には怖いものから逃げるため。自分が走っているときには案外意識しないけど、こうしていろいろ並べてみると、「走らなきゃいけない目的」というのは、意外とその人にとっては切羽詰まった問題で、それゆえに自分の身体を苦しめてでも対応しないといけない問題なのかもしれない。ついつい私は職業柄もあって「命を懸けて」というようなドラマチックな展開に目が行きがちなのだが、そこかしこで走っている人もそれなりにドラマチックな存在であり、切迫した存在なのかもしれないと思った。

 もっともこういう読みがドラマやOPの解釈に役立つかは分からないけれど、こうした小さなイメージの更新が人生をより良いものとしてくれるかもしれない。あるいは走っている人に手を貸すきっかけを思いつけるかもしれない。今度向かいから走ってくる人があったら、少しは通りやすくしてやろうと思うかもしれない。そして今日一日を思い起こしても、そうこうしているうちに私も何かの目的に走り回っていたことを思い起こすのだ。

「同じ道」を何度も

 前にこのブログで、「同じ道を歩いて帰る人より、いろんな道を歩いて帰る人の方が幸福感が高い」という話を取り上げたことがあったと思う。要は、同じことばっかりしているより違う道を歩いて異なる景色を見た方が良いだろうって話なのだが、この議論には異議を唱えたい前提があるなと最近思う。そんなに大したことではないのだが、「同じ道」と言うとき、この設定ではまるで一つの道が何の変化もないかのように取り扱われている。しかし「同じ道」は四季の彩だけでなく、意外と細かく見ていくと変わったりしているものじゃないか、と思うのだ。

 先日、久々に沖縄に行ってきた。那覇で2泊。友人からは「那覇だけで2泊は絶対に飽きるぞ」と言われていたのだが、確かに国際通りを冷かして、二日目はちょっと足を延ばして首里城へ、と言っても、結局那覇の当たりだと家族を連れて歩き回るにも限界がある。結局三日間同じような所を歩きつづけていたのだが、それでも毎日いろいろな発見があった。

 たとえば三日間歩き続けていて、二日目まではなかったものが三日目にはあるかもしれない。三日目にぶらついていると、沖縄の田芋屋さん(そんなのあるんだ!)が開いていて、そこで蒸した田芋を購入していろいろお話を聞かせてもらった。有名な牧志の公設市場でも、数日通うと同じ店でも愛想の良い人と不愛想な人がいたり、公設市場のTシャツがあることに気づかされたりする。当たり前のことかもしれないが、「同じ道」は案外同じではないのだ。そこに面白みを見いだせるなら、十分幸せでいられる。

 そして、知らない土地で短い間でも「変わらないもの」を見つけるのもなかなか楽しい。東京ご出身の方が営まれている古書店があるのだが、三日間、いつ行ってもパソコンと向き合っていて、きりっとした雰囲気を漂わせていた。きっと一年後窺っても、あの人はあそこに座ってパソコンを見つめているんだなと思うと、なかなか面白い。よく言うのだが、「変わりゆくもの」を安心して楽しむには「変わらないもの」がどっしり構えていないといけない。また同じ道を歩くときに、「変わりゆくもの」は目に新しい喜びと変わってしまった寂しさに、「変わらないもの」は懐かしさになるのだろう。

 最近は、あちこち行くのも結構だが、同じ道を楽しむ心のゆとりを、いつもポケットに入れておきたい。

地元の商店街

 家から徒歩1分くらいのところに、そこそこ大きな商店街がある。端から端まで歩けば10分くらいだろうか。昔はもっと南にあったのだが、戦争で建物疎開が行われ、旧商店街は現在では国道となっている。東西の中央通り商店街に南北のもう少し小規模な商店街がクロスしていて、かつては大変なにぎわいで、お正月前ともなる富動きができないほどの人混みだったという。

 私が今の町に住みはじめてもう15年は経つが、商店街は少しずつ活気を失っている。昔から愛されているお店がどんどん閉まっていくし、いわゆる「シャッター商店街」化が進んでいるところもある。お店が新しくできたとしてもチェーンの居酒屋ができることが多く、個人商店は高齢化が進んでいる印象だ。そして地方都市の商店街ではよくあることだが、売っているものがしょぼい。コスメにしろ洋服にしろフライパンにしろ、「ちょっと入ってみようかな」というお店がなかなかないのだ。

 ただ、昨日、そんな地元の商店街を見直す出来事があった。きっかけはよく行くお好み焼き屋さんに「あの店が美味しい」とお店を教えてもらい、商店街で色々買って夕食にしようと提案したことだった。それから商店街にあるお店を思い出してみると、意外と色々ある。買おうと思うものはなかなかないといったものの、グルメに関してはなかなか見どころのある商店街なのである。

 お好み焼き屋さんに教えてもらったお店はいわゆる「立ち飲み」なのだが、店頭でチヂミやキムチを売っている。キュウリとイカを買ってみたが、このキムチがなかなか美味しい。韓国系の人が多い地域でキムチを売るお店もたくさんあるのだが、そのなかでもあまり辛くないもののコクとうまみがあって、とても美味しい。キンパも、買うときにごま油を塗ってくれるので、風味がある。それからもう一軒韓国系のお店(いつもすりごまを買うのだ)に行こうと思ったのだが目当ての豚がなかったので、その近くにある沖縄系の豚屋さんへ。ミミガーも捨てがたいが、シンプルに蒸し豚を買った。それから豚足を焼いてみようと思い注文したのだが、これがめちゃくちゃでかい。ちなみにこのお店のすぐ北には、元洋服屋さんのコーヒーとスイーツのお店があって、リーズナブルかつ優しい甘さでコーヒーのラインナップも豊富。店主の趣味で店内はカウンターまでアメリカ系のおもちゃで溢れてファービーなんて何体いるのか分からないくらい。とても楽しい店だ。

 豚を買ったらその足で今度はホルモン焼きを買った。昔は商店街のはずれにあったのだが、今は南北の商店街に続く小さな別の商店街で商いをしている。店内は昼飲みの人たちでごった返していた。ホルモン焼きを包んでくれた後、「つまんでいき」と爪楊枝に刺したあつあつのホルモン焼きを頂いて、今度は店で一杯やろうかなと思ったり。もうそろそろ帰ろうかなと思ったのだが、ここで、蒸し豚につけるチョジャン(韓国酢味噌)を作るためのコチュジャンがないことに気づく。そこで帰りに、いつもお世話になっている別のキムチ屋さんに行ってみた。コチュジャンは売り切れだったがチョジャンはあるとのことで、じゃあそれをもらおうかと思ったところ、オンニの娘さんが「蒸し豚の食べ方知っていますか?」と聞いてくれた。皆目見当もつかないので聞いてみると、ゆでた魚介ときゅうりを和えたり、素麺を和えてピビン麺にしたりと、聞いてみるとなるほどなと思える食べ方を教えてくれた。

 そうしてできあがったのが上の写真の夕食というわけだ。野菜とお肉(前日の焼肉の残り)以外はすべて商店街のもの。韓国系ばかりと言われたら、昔は死ぬほどまずかったのに更生して(?)美味しいものを作るようになった豆腐屋さんや、安くて美味しいパン屋さんがある。お魚屋さんは少ないが、お肉屋さんもまだ何軒かある。ひごろは悪いところばかり目についていたが、自慢までしないにせよ、まだこの商店街はきっと大丈夫。そう思えた暖かい一日だった。

方言

 最近、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の再放送を見ている。すごく良いドラマなのだが、今日の話はドラマ本編ではなく、そこで使われている言葉に関連した話。このドラマは三世代のヒロインが登場し、舞台が岡山、大阪、京都と移っていくのだが、よくよく考えると私はこの三つの都市いずれにもなじみがある。母は岡山の生まれ、父は隣接する広島の生まれだし、今は大阪にほど近い町に住んでいる。そして大学は京都に通っていたのだ。ドラマを見ているうちに「じゃけえ」とか、「~さかいに」という表現が出てきて、何となくそれを自然に受け入れている自分に気づいた。

 普段私はいわゆる「標準語」を話すように心がけていた節がある。なぜそうしようと思ったのかは、正直自分でも分からない。別に標準語をかっこいいと思ったわけでもないのだが、あまり大阪の言葉を話していたわけでもない(自覚なしに話しているのかもしれないが)。しかし最近になって、普段の会話でも先ほど言った「じゃけえ」が口を突いて出てくるようになった。それだけならヒロイン「るい」への憧れで説明できるのだが、いわゆる「方言」を口にすることに抵抗がなくなったのか、日常会話でもそのような言葉を話すことが多くなってきたように感じる。

 そのなかで強く最近思うのは、方言は必ずしも「地域のもの」ではないということだ。京都弁とか青森弁とか、通例方言は○○弁と称されて、地域に根付いた言葉だとされる。でも人間の交通が発達するにつれ、そして小説・アニメ・ゲームなどのエンタメが普及するにつれ、言葉は方言を伴って全国を行きかうようになった。そうしているうちにみんなが各所の方言に親しみ、意識しているかは分からないが便利な言葉を使うようになっているんじゃないだろうか。私はいろいろな方言を聞いているうちに、「だから」と言いたいときに「じゃけえ」と言い、「なんで?」と言いたいときに「なして?」と言う。地域で考えればおかしな言葉遣いだが、「方言」というのはもともと「これをこの地域の言葉にしましょう」と決まったものではない。その地域に住む人が、話しやすいように言葉を紡いだ結果が方言になったのだろう。そう思うと、私が複数の地域の方言を自由に使いまわすのも、決して変なことではない。そして、私にとってなじみのある言葉遣いは幸いなことに、ほとんどコミュニケーションに障害をもたらしていない。

 そういえば、方言と標準語に関連して、友人が「ピジン語」というものを教えてくれた。これは複数の母国語が違う話者の間で作られるある種の人工的言語で、コミュニケーションをとりたくても取れない者同士の間で既存の言語を簡略化して作る言語のことらしい。もちろん当事者間で「こういう風にしましょう」と契約したものではなく、自然とそうなったものなのだ。「標準語」というと東京の言葉のように思う人も多いが、サラダボウルとなった東京の中で今まさにこうしたピジン語と似通った言葉の発明が進んでいるかもしれないと思うと、方言 vs. 標準語という二項対立自体、あまり意味をなさないのかもしれない。

 言葉は生きもので、人間も生きものだ。生きもの同士のやり取りなのだから、そこにマニュアルなんてきっとないのだろう。