個室にて

Ars Cruenta

顔のないクレーマー

 最近は少し減ったような気がするが、小売店で店員を怒鳴りつけるクレーマーのトラブルは今でも絶えない。どんなクレームなのかは知らないが、後ろで待たされる側はたまったものではない。前の客の遅延行為の上、聞きたくもない怒声を聞かされるのは、周りの客からすれば不快でしかないだろう。大手だとなかなか店員が強気に出るのも難しいだろうし、それを知っててクレーマーは怒鳴っているんじゃないかとは思う。でも、そこで消耗してしまっては元も子もないのではないか。飲食店でも、自分の横で汚いことをする人がいたら、たとえ美味しくても嫌な気分が残るだろう。そんなとき、店主がその人を一喝してくれたら、怒られた本人は二度と来ないだろうが、自分はいい店だなと思うに違いない。悪いことをする人にしっかりクレームすることで、きちんとした人はかえってまた来てくれるようになるのではないか。

 ところで、どうしてクレーマーというものが出てくるのだろう。普通の人がみんな「あいつはヤバいやつだな」となれば、その人は居場所をどんどん無くしていくはずなのに、どうして大手を振ってわけわからないことを怒鳴っているのだろう。気の合うクレーマーだけ集まった共同社会でもあるのだろうか。

 ヒントになる出来事がしばらく前にあった。生活保護をもらって働きもせず好き放題して暮らしている人が知り合いの知り合いにいたのだが、その人は散々あちこちでトラブルを起こした挙句、自分の飼っていた犬と猫を公園に捨ててある日突然別の場所に引っ越していったのだという。その人は身の回りがいなくなれば、引っ越して新しいトラブルの土壌を探して生きていくのだ。

 同じようなことがクレーマーにも言えるのではないか。完全に土地に根付いてみんなが互いの顔を知って生活していく場なら、クレーマーのような人は地域の人に「トラブルの種」と思われ、徐々に人が離れていくだろう。入店拒否や「村八分」だって可能かもしれない。しかし彼らには顔がないのだ。ある店で怒鳴ってはしばらくしたら消えていく。その店特有の名物クレーマーのような人もいるのかもしれないけれども、きっと犬猫を捨てた人のように、急に攻撃的になる「通り魔」的クレーマーもいるのだと思う。

 クレーマーの存在の背景に匿名性があるにせよ、どちみち自分の感情の世話ができないような情けない人間にはなりたくないものだ。