個室にて

Ars Cruenta

手を汚さない人

 よく「職業に貴賎なし」ということをお題目のように掲げたり、ある業界の悪いところをあれこれとあげつらって批判したりする人がいる。確かに職業に貴賎はないのだろうし、業界特有の悪癖とか、ブルシットジョブとかいろいろなことがあるだろう。ただ、だれがそれを言っているのかによって聞き手の印象はずいぶん異なったものとなる。早い話、「職業に貴賎なし」と言いながら、自分は入念に「賎」と言われがちな仕事を回避しようとする人がいる。あの仕事のこれが悪いあれが悪いと立派に言いつつ、自分はそういう仕事に直接かかわらず部下にやらせている人がいる。要は、自分の手は汚さないけど立派なことを言う人というのが、世の中には結構いるのではないか。

 これに対して、悪癖のなかでいろんな障害と向き合っている人というのは、意外としたたかなもので、お互いに考えを出し合って悪癖のなかでうまくやるアイディアを探していくような気がする。確かにこれは悪いルールだが、言われた以上やるしかない、でもその中で何とかならないかを考え、悪いルールだと上に相談していく。このとき、上司が上に挙げたような手を汚さない人間だったとしたら、その人にはこの経験的な操作の意義は分からないだろう。でも上司が一緒に取っ組み合ってくれる人だったならば、その人は同じ経験を通して悪癖の何が悪いのかを一緒に考え、行動してくれるに違いない。

 「~はブラックだから」と言いながら働かないのも、割とこの「手を汚さない人」に似ている気がする。家族経営の職場は明確な規定がないから危ない、かといって大手はルールが厳しすぎる、なんて言っていては、働くところなんてなくなってしまう。自分で日銭を稼ぐ能力があるならとっくにそうしているだろうし、世の中を冷笑的に見て何もしないだけなら、そのなかで何かを考えるための、だれかと同じ悪癖という経験をすることもできない。まあ、お金のある人はそれでもいいのかもしれないが、その人は真っ白じゃない世界に延々恨み言を言うだけの人になってしまうだろう。頭の中の理想を語るよりまずは手を汚してみてもいいのではないか。そんな気がする。経験しないことには、みんなに共有される理想について語ることなどできないのだから。