個室にて

Ars Cruenta

行き場のない感情

 家族やそれに近しい人が加害者になる事件はいろいろある。親殺しや金銭トラブルに関するニュースには事欠かない。そういう事件の中でもとりわけ複雑だなと思うのが、結婚相手や恋人によるDV加害やストーカー行為、あるいは浮気・不倫の類なのだと思う。こういう事件では、被害者は精神的に攻撃されたり周囲を攻撃されたり、あるいは家族という関係を攻撃されたりするわけだが、被害者は被害を訴えた途端、もう一つの被害を被る――ずっと信じてそれなりに一緒にやっていこうと思っていた相手を失って、そこにぽっかり穴が開いてしまうのだ。

 加害者からすれば、自分の欲望を満たさない被害者はもうどうでもいい人間になるのかもしれない。被害者にとって「最後はどうなってもいい」ような関係を迫られるということは、使い捨ての駒にされるようなものである。しかし被害者からすれば、その人は相手のことをそれなりに信じ、結婚もしていたならばある種の絆のようなものを一層感じ取っていただろう。そういう人からすれば、たとえ被害を受けて苦しんだとしても、元の鞘に収まることはもうなくとも、さらに言うならば相手に対する信頼や愛着が事件によって相当程度失われたとしても、この特別な気持ちというものは早々簡単に割り切って廃棄してしまえるようなものではない。

 事件が起こるということは一つの社会的な出来事で、自分の感情だけでどうこうすることができなくなるということでもある。こと周囲を巻き込んだ場合、被害者は周囲にも負い目を感じなくてはならない。行き場のない感情を抱えたまま、コトの複雑さを誤魔化して単純な行為――忌避と嫌悪を繰り返す必要がある。これは本当に孤独な葛藤だ。

 警察から前に聞いた話だが、男性は恋人からのストーカー被害を訴えたあと、加害者に抱き着かれたりすることで再び交流を再開し、再度被害に遭うというケースが多いのだという。これはたとえば男が性的にだらしないから起こることだろうか。周囲に負い目を感じていないからだろうか。おそらくその人はこの葛藤のなかで憔悴しながら、やはりもう一度信じてみたいという気持ちが勝ってしまっただけなのではないか。「男性は」とわざわざ断りがあるということは女性はその点、比較的うまく気持ちを割り切れるのかもしれない。

 この虚しさはいつまで続くのか。