個室にて

Ars Cruenta

塞翁が馬

 「塞翁が馬」という有名な故事があるけれど、あれは本当にそうだなとこの数年で痛感しているところがある。ずっとつるんでいくのだろうと思っていた人に裏切られたり死別したりすることもあれば、ひょんなきっかけでずっと連絡を絶っていた人から思わぬ便りが届くこともある。お金のために始めたバイト先で資格を取らないかと誘われ思いがけない資格を手にしていたり、かと思ったら4月には半年前には全く想像もしていなかった仕事についていたり、いろいろである。

 人生に計画性を持たせたがる人というのはいて、その計画性のうちひとつは同じ会社で働き続けることor店を経営していくことであり、もうひとつは同じ家族と暮らし続けていくことなのだろうと思う。後者は大事にしたらいいと思うし、同じ家族になれる人を見つけていくことは幸せにつながると思うけれど、前者は一見盤石な地盤を持っているようで意外と儚いものだなと思う。事業所が火事で焼けてしまって職を失ったり、リストラされたり、ほかにも同じ仕事を続けられない様々な事情がある。仕事が嫌でやめてしまった人や、転職のことを考える人・実行に移す人も見てきた。そう思うと、意外と働くというのは自由なもので、塞翁が馬スタイルでもいいような気がしてくるのだ。

 実は先日、知り合いの信頼できるある人から仕事に誘われて、まだこういうことがあるのかと戸惑いながら、どうしようかと悩んでいる。キャパ的にかなり危ういところではあるのだが、塞翁が馬と思い、また全く知らない世界に飛び込んでみるのも面白いかもしれない。お金の処理に関する仕事なのだが、私には今のところ、何をするのかも検討がつかない。ただ、私がメインで研究していたある哲学者は、そういえば哲学研究の傍ら、農業クラブや大学で会計の担当をしていたと聞いたことがある。塞翁が馬というのはただ先行きがどうなるか分からないという話ではなく、実際には過去の出来事が未来における御縁の契機となるという側面も含んでいる(それが良いほうに行くかどうかは分からないが)。諸々は繋がり合っていると思い、踏み出してみるのもいいのかもしれない。