個室にて

Ars Cruenta

蕎麦が好き

 蕎麦が好きだ。よくテレビで美味しい蕎麦屋さんをやっているが、多くのお店はあまりおいしそうではない、あるいは出演するタレントがおいしそうに食べない。一番よくあるのが、蕎麦をたっぷりつけ汁につけて食べるパターン。蕎麦を食べているというよりつゆを食べているようで、それで蕎麦がうまいと言われると、ちょうど食パンの味を聞いているのに食パンにたっぷり有塩バターを塗りつけて「バターがおいしい」と言われているような、なんだか騙された気持ちになる。「江戸っ子」を自称する連中が蕎麦を一気にすすり上げるのもいい気がしない。そんな連中に限って「蕎麦はこうやって食うもんなんだよ」なんて言うものだから、一生そうやって一本ずつすすりあげておけと皮肉も言いたくなってしまう。

 こんな風に悪態をつくと、じゃあ美味しい蕎麦はどういうもので、それをどう食うべきなのかと問われるかもしれない。最初の質問には、まず蕎麦とうどんの区別をつけるべきではないかと思う。うまいうどんは小麦粉のいい香りがする。同じようにうまい蕎麦は蕎麦のいい香りがする。それが第一条件だ。香りが良くて味が悪い蕎麦はほとんど聞いたことがない。ただ、うどんと違って蕎麦はこしがあればいいってものではない。あんまりにもボロボロでも困るが、そもそもこしを蕎麦に求めるのが間違いなのだ。最近の旅行番組では、蕎麦を食べてすぐにタレントが「こしがある」とコメントする。しかし蕎麦にはそもそもこしがない。そばがきを思えばこのことはよくわかるだろう・・・というと、そばがきが分からない人も多いのらしい。また、無理にこしを出そうと冷たい水でしめてしまうと、今度は蕎麦の香りがしなくなってしまう。キンキンに冷やした酒は香りが弱くなるのと同じらしい。切り方にも注文がある。蕎麦屋によってはやたら細切りにこだわる店もあるのだが、素麵じゃないのだから、細ければうまいというものでもなく、むしろ水っぽくなってしまう印象がある。

 食べ方はやはり、最初はそのままで。次はほんの少しの塩。これだけでうまい蕎麦はぺろりと一皿食べられてしまう。つゆを染み込ませるかのようにそばをつゆに放り込む人もいるが、つゆにはべったりつけない。薬味はつゆに入れず、必要なだけそばにつけて食べる。

 こうやって偉そうに書いていると、ふとジョージ・オーウェルが「一杯の美味しい紅茶」というエッセイを書いていたのを思い出す。ただただ、うまいお茶を飲むために自分が何をしているかを書き連ねただけのエッセイなのだが、今自分も同じようなエッセイを書いている。こだわりというものを書き留めておきたくなるのかもしれない。