個室にて

Ars Cruenta

一人で飲む

 親が年老いていくと、家族もいずれいなくなる。友達がたくさんいるわけではないし、貴重な友達もいろいろな原因で滅多に会えなくなるかもしれない。そうなってくると、一人で楽しく生きられるようにならないと、などと暗いことをしょっちゅう考えるようになる。独りぼっちになっても楽しいことは何だろうと考えると、やはりご飯と旅かな。そんなことを言っているうちに、次第に一人で食べに行ったり飲みに行ったりすることが増えてきたような気がする。

 休肝日には大阪の駅ビルをうろついて、ちょっとしたご飯を食べて帰るようになった。昼からひと仕事をして夕方になると結構お腹がすいているもので、ビリヤニやらチャンポンを食べて1,000円くらいで済ませて帰宅する。それからもう一仕事して深夜に夕食にありつくという感じだ。また、時々思い立った時にちょろっと飲んだりすることも増えた。サイゼリヤデカンタのワインに前菜ばかり食べても2,000円くらいで済むし、梅田の角うちスペースで日本酒とつまみを食べるのもそこまでお金はかからない。こっそり贅沢をすることもある。近くに北陸出身の回転ずしチェーンがあり、あんまり嫌なことが続いた時、2回ほど訪れたことがある。酒も飲んでやりたい放題すると回転ずしでもそこそこの値段はするが、値段相応の満足感はある。

 最初は、サイゼリヤで一人飲むにせよ、時間をどう使えばいいのかよく分からなかった。ただ実際に飲んでみると、うまいなあと思っているだけで時間というのは案外過ぎていく。家族で食事をしていても、思えばそんなに会話はない。テレビの感想を言い合ったり料理の感想を言い合ったり談笑はするけれど、よくよく考えてみればそれがなくても食事は立派に成立するものだ。食べることはそれ自体で結構楽しいことで、そこにお酒が加われば「おいしいなあ」と「あと何食べようかな」だけで思考は割と支配されてしまう。むしろ人と話すことがない分、一人でせっせと食べて飲んで、ある程度の時間になるとさあ帰ろうとなる、良いお客さんになれる利点もある。

 思えば人と飲むときは結構だらだらと過ごしてしまいがちなので、こういう一人飲みは改めて食事との向き合い方を考える良い場になっているのかもしれない。今のところお店選びであまり失敗したことはないが、もし失敗したとしてもちょっと頭を打ったと思えばいいだけで、人に申し訳ないことをしたと思わなくていいのも、気が楽かもしれない。いやでも本当は気心知れた人とも、はじめましての人とも、みんなで仲良く飲めたらいいんだけど、とか思いつつ、また友達と会える日を楽しみにする気持ちは忘れずにいようと思ったりする。