個室にて

Ars Cruenta

面倒をかけることへの負い目

 前にブログで書いたこととほぼ重なるが、改めて。小売業で働き始めたとき、慣れないながらも結構ショッキングだったことのひとつに、客は驚くほど自分でものを探す能力がないということがあった。ひどい場合だと店に入ってくるなり「~はどこだ、案内しろ」、もっとひどければ「この商品を取ってこい」と言う始末である。小売のスタッフは別に案内係ではない。品出しをしたり発注をしたりレジをしたり、様々な仕事を抱えている。それなのにどうしてこうも自分で何も探さずに声をかけてくるのか。あるとき、このような愚痴を知り合いに話したら、しれっと「それもあなたの仕事だから」と返されてこれまたショックを受けた。

 「あなたの仕事」を決めるのは誰なのか。私には「欲しいものを自分で探さなくても商品のところまで案内しろ、それがお前の仕事なんだから」というのは、「キャバクラなんだからセクハラくらい我慢しろ、それがお前の仕事なんだから」というのと同じような言葉に思える。確かにそれは考えようによっては仕事の延長線上にあるのかもしれないが、普通に考えれば言いすぎだし求めすぎだよね、というあの感覚がついてくる。自分の面倒を省いたり利益を確保するために、相手の迷惑や面倒を全く顧みない態度があからさまになっているのだ。

 結局のところ、どれだけえらい人間なのかは知らないが、他人に面倒をかけることについて負い目を覚えない人が多いのだと思う。クレーマーまでいかなくとも、そういう人たちは少しずついろんな人に負担をかけている。その負担にやりがいを感じる人もいるのかもしれないが、その負担を負担だと表明することも大事なのだと思う。結局そういう人たちに時間を割いているうちに、より時間をかけた対応が必要な人への配慮が損なわれてしまってはならないだろう。

 愚痴ついでに言うと、よく「分からない」を連発して何でもかんでも人にさせようとする人もいる。こういう人は分からないからできるようになりたいのではなく、分からないと言っていれば人がやってくれると思っている場合がとても多い。「じゃあこうしたらいいんじゃないですか」と言うと、相手がやってくれないと思ってごねだす。そういう姿を見ていると、何でも自分で調べてできるようにしようとする気持ちは失ってはならないのだと自戒する。助けを求めるときには、どれくらい何をやって、そのうえで困っているのかを説明する誠実さも忘れないようにしたい。