個室にて

Ars Cruenta

スーツの話

 高校生から大学生くらいのころ、妙にスーツに憧れていた時期があった。我が家は自営業で「くたくたになって帰ってくる背広の父親」みたいなものを見たことがなかったというのも一因だろうし、ひょっとするとゲームなんかに出てくる紳士的な(大体ゲームだと後でそういうやつのぼろが出るのだが)キャラクターに感化されていた面もあるのかもしれない。お笑い話でいうと、高校のころはYシャツはボタンが面倒で、ポロシャツにネクタイを巻くなんてよく分からないことをたまにしていたりした。

 ところが大学に入ってタウンシューズを買ってみたりジャケットを買ってみたりしてみると、なんだか次第にこうしたアイテムが色褪せて見えるようになってきた気がする。スーツが悪いものに見えてきたり、革靴がつまらないものに思えてきたりしたわけではない。早い話、スーツというものはある一面では、どんなちんちくりんでもそれなりにちゃんとしているよう見せるために存在しているのではないか、そんな観念がふと頭をよぎったのである。

 こんなことをそれだけ言うと、上から目線に人をけなしているだけかもしれないが、案外的を射ているのではないかという気がしなくもない。大学生に毛の生えたような連中が持続化給付金詐欺をしたニュースが最近あった。そういう人たちは「セミナー」を開いて協力者を集めるのだが、彼らを「まっとうなビジネスの一員」のようにみせているのは結局のところ、スーツを着ているという事実だけなのではないか。スーツを着ているだけで、テレビに映っていたシーンを見る限り、言っていることはツボ一つ言葉巧みに買わせるようなそれではない。これがもしスーツではなくスウェット姿なら、セミナーは成立しただろうか。「なんか変な半グレが来た」と思われないだろうか。

 いまさらながら、スーツを着ているからといってろくでもない人はたくさんいる。SDGsのバッジをつけていたからといって持続可能な社会なんて頭から考えず人を小馬鹿にしたり怒鳴りつけたりする人もいる。自分はスーツがかっこいいと思った。しかし、スーツを着たら自動的に自分がかっこよくなるわけではない。ちんちくりんの一員として、そこでなにかが冷めてしまったのかもしれない。