個室にて

Ars Cruenta

ありがたい友達

 日ごろ仕事をしているとなかなか友達に会うこともできないので、ついつい孤独に生きていると思い込んでしまうものだが、意外と人と人の縁というのはしぶといもので、連絡を取れば案外なんらかのレスポンスを返してくれる人というのは多い。一緒にあちこちおでかけしたわけではなくとも、週に一、二度顔を合わせていた縁が今でも続いていたりする。

 こういう人付き合いのありがたさをめぐって、ひとつ思い出したことがある。中高時代、決してずっとつるんでいたわけではないがよく話す人がいた。その人は今から思えばなかなか面白い人で、何でもすぐ調べ試す、経験論気質の人だった。高校卒業後はお互い連絡を取ることもなく過ごしていたのだが、同窓会のときに再開したとき、どういうわけか私はすぐ彼と話をはじめ、結局2時間、お互いがやっている仕事の話を延々やっていたのだった。

 再び会ってあれこれ話して笑い合えるというのは、それだけでとてもありがたいことなのだ。そう思えば、また会えるかもしれないというのは、多少過去に間違いがあったとしても、ひとつの希望となる。こう考えれば過ぎ去った過去は思い出し慰めとなるだけではなく、未来につながる。人と人の織り成す関係の網の目の複雑さを思えば、自分が根無し草だという絶望感も多少は和らぐ。網の目を暴力で壊されない限り、人は繋がり続けることができるのだ。