個室にて

Ars Cruenta

スタイルをデザインする

 ここ最近、ずっと「スタイル」という言葉にいろいろなものを込めているような気がする。ここでのスタイルというのは文体とか身体のありようというより、その人の生活の仕方とか、生きる上での考え方に近い。自分がこれから一人で生きていくうえで、なにか芯のぶれない、スタイルのようなものを育てていけたならどんだけ心強いだろうか、そんなことを考える機会が増えた気がする。

 同じような服を同じように身に着けるのも、人が身に着けないようなアクセサリを身に着けるのも一つの習慣ではあるが、それだけだとただの名物おじさん・おばさんになってしまいかねない。かといって、あれやこれやと考えに考えてスタイルをデザインすべきなのかというのも疑問が残る。私はこうなりたいという理念をどこまで成型したところで、「正義の人」という場合など特にそうであるが、頭のなかでこしらえた理念はとにかく抽象的で、いざ行動の指針にするにはあまりにあやふやだったりするからだ。

 自分のスタイルをもし意識的にデザインしていくとすれば、それは自分が普段やっていることから始まっていくのではないか。自分の仕事なり、家事なりを見直してみて、その中で自分が何を良しとしてどのように作業したいか。そこから自分自身が何を良しとしてどのように生きたいかを考えてみることができるのではないだろうか。たとえば料理人なら、徹底した数字での管理で特別な美味しさを追求する人もいれば、いつも通りのものをいつも通りに作って町の人に喜んでほしい人もいるだろう。それを出発点に自分の人生を見つめなおすことは、理念をもとに行動を制御するよりもよほど良いデザインの仕方であるように見える。