個室にて

Ars Cruenta

「行きつけの店」

 私が小学生のころから今に至るまで、ずっとお世話になっているお店がある。塚口にあるスペイン料理店なのだが、幼いころはなんとも高級な感じがしていろいろ頼むのが子供ながらにためらわれた。それからちょくちょくと美味しいものが食べたいときに訪れ、大学に入ると今度は私が知り合いを呼んだり高校のプチ同窓会を開くようになり、今でもお世話になって年に一度か二度は訪れている。思えば我が家は一度ハマるととことん同じような所に行ってしまう。このことはもちろん、一度ハマると前にハマっていたところに行かなくなるということも意味するのだが、それでも何軒かは一年に一度でも、ずっと通い続けるお店というのがある。
 そういうお店に入るとき、何かが変わったんじゃないかと時々奇妙な緊張感を感じることもある。しかしひとたび入ってしまえばマスターはいつも通りで、食べるものは美味しく、どこか懐かしいところに帰ってきたような気がするのだ。ご飯を食べに行くのだから、マスターといろいろ話をするとも限らない。会話をするにせよ二言三言、ちょっとした挨拶や近況報告を交わす程度のことも多い。それでもなんとなくその場で安心し、また次の日から頑張ろうと思えるようになるのだ。
 思えば居酒屋などでも、(失礼ながら)たいして美味しそうにも見えないのに人がたくさん集まっているようなお店がちらほらある。聞いた話では、パック納豆がそのまま出てきたり、サトウのご飯を悪びれずチンして出してくるお店だってあるのだが、それでも集まる人は集まってくる。彼らはそこで、自分が味わう安心感をより親密な空間で味わっているのだろうか。そういえば誰か友達を作るには、「行きつけの店」を作ればよいとアドバイスを受けたことがある。同じ場に同じように集まってくる人びとは、よほど一人で飲みたくない限り、自然と話だし、マスターまで巻き込んだ関係になっていけるのかもしれない。コロナで忘れてしまいそうになっていたことだ。
 新しく行きつけの店を作るには、まずは街を歩いて暖簾をくぐるところから。コロナが落ち着いている間は、ちょっとずついろんなお店をのぞいてみるのもありかもしれない。食道楽のためだけではなく、都市のど真ん中に自分が一息つける居場所を見つけるために・・・。