個室にて

Ars Cruenta

安っぽい高級品

 以前、ゴディバマクドナルドと、ヴィタメールがミスドとコラボしたという話を取り上げて、やはり普段使いと高級志向はすみ分けたほうがいいんじゃないかという話を書いた覚えがある。そのときもいろいろ関連することを思っていたのだが、最近、また変なCMが流れているのを知った。カップ麺にお湯を注ぐだけの女性、「こんなものを料亭で出さなくても」というようなことを言うと常務役の男が出てきて「まずは食ってみなさい」とみなにカップ麺を食わせる。肯定的な感想が並んで、「これで自信をもって運べるね」というようなセリフでCMは締めくくられる。QUTTAのCMである。

www.qtta.jp

 たとえばコンビニのおにぎりが「○○産鮭ハラス使用」などとうたって高級感を演出しようとするのはまだ分かる。産地偽装でない限り、メーカーの努力によって「いいもの」を安く仕入れる方途は良くも悪くもいろいろあるだろう。しかしこのCMではそこそこの値段を取る高級料亭を舞台にカップ麺が「その人たちに認められた素晴らしいもの」として暗示されている。直感的に、「これはやりすぎではないか」と思ったのだ。

 CMの作り手やメーカーの自負として、それくらいおいしいのだと主張することは確かに自由なのかもしれない。しかしその主張は、一つ一つの手間を惜しまずその日仕入れる食材で勝負をする料亭の人たちからすれば、どう聞こえるのだろうか。「料亭を知っている人間はこんなものの影響を受けない」と構えられるならまだ幸せだろうが、料亭でなくとも不快な思いをする人は多いのではないかと思う。

 そもそもなのだが、「クッタ気がするカップ麺」と他人と話をしながら様々な料理を楽しむことを目的とする料亭は本来、食事の目的のうえでも異なるターゲットに狙いを定めているはずである。このズレが許容されるのは、(私も行ったことはない)高級料亭がどういうところかをぼんやりとした抽象的なイメージでしかつかめない多くの人々がいるからではないだろうか。ドラマや旅行雑誌の小さな記事でしか知らない世界、いわば頭の中にハリボテしかない世界のなかで演出されるからこそ、高級料亭のカップ麺は成立するのではないか、そんな予感がしている。