個室にて

Ars Cruenta

消費なき梅田

 ときどき、ふと街に出たくなる時がある。寂しいときや、どうも考えがまとまらないとき、都市の雑踏のなかでただただ歩き回りたくなる。そういうときというのは、何かが欲しいわけでもないし、ウィンドウショッピングをしたいというわけでもない。だから商業施設に入るわけでもないし、だれかと接触するわけでもない。こういう特殊な歩き方をするとき、梅田の町はとても面白く、同時にとても空しく感じる。

 先日、そういう気分になって、梅田で降りた。何の考えもなしに淀屋橋まで歩いていき、裁判所前を通って西天満まで出た。そこから阪神梅田駅に落ち込む渦をかくようにぐるぐると街を回るように歩いていくと、渦の中心に至るにつれて、次第に町が味気なく、空っぽに感じるようになっていくのだ。

 西天満のあたりはまだ多少の猥雑さのある区域で、そこに住んでいる人は少ないかもしれないが、不思議な街としてのハリがまだ残っている。昔からある店、新しくできた店、駐車場、風俗店・・・こうしたものが組み合わさって独特の雰囲気を醸し出している。これに対し今まさに改装工事中の阪神梅田近辺は、ずっと変わり続けていることだけが確かなだけで、過去にあったものはすべて綺麗に廃棄されている。思えば私が子供のころはまだ、全国各地のお土産を売るブースがシャッターまみれになりつつも残っていた。そこも今やすっかり綺麗になっていて、広くて明るい通路となっている。

 中央に近づくにつれ、活気が出てくるのは確かである。しかし、何かを買いたいと思う気持ちではないとき、中央に近づくにつれ目を引くものは少なくなっていく。「ウィンドウショッピング」も好きだが、これは自分のなかに「ほしい!」という気持ちを惹起するために行うものだ。だから購買欲がそもそもなければ、何も目につかなくなってしまう。ただ通勤で梅田を通過する際にどこから地上に上がったとして何も目を引くものがなくても、いつもと道を変えて淀屋橋くらいまで歩けば何かと気になるものが出てくる、というのと似ているかもしれない。

 歩き回るために梅田に出てきたというのに、ぐるぐると渦を巻きながら、よく知ったセンターに戻ってきてしまったのは自分の行き慣れたところに行きたいという保守的態度のためかもしれない。しかしそれがネズミホイホイのように自分を地下街の何もないところに放り込んでしまい、なんとなく疲れてしまった私は再び電車で最寄り駅まで帰っていった。電車に乗り込むとき、ふとこう思った。「ここは何かを買うための街なのだ」と。