個室にて

Ars Cruenta

「仕事はできる人」

 これまでいくつかの会社や組織で仕事をしたり活動したりしてきたけれど、たいていどの業界でも「仕事はできる人」と呼ばれる人がいる。もちろん助詞の「は」が効いているわけで、「仕事はできるけどファッションセンスが絶望的な人」みたいな意味でつかわれることはほぼなく、「仕事はできるけど周りと協力できない嫌な人」という意味でつかわれるのが大半だろう。つまりソロプレイしている分には無害だし有能だが、人と関わりだしたらめんどくさかったり人を不愉快にさせるような人が「仕事はできる人」なのだ。

 ただ昔から、私は「仕事はできる人は、本当に仕事ができているのだろうか」と不思議に思っている。別に個人の営業成績や成果そのものを否定するつもりではないのだが、個人の営業成績や成果というのは、会社や何かの文化サークルの「仕事」の一部でしかないという事実にもっと気を付けないといけないんじゃないか。

 たとえば、クラスに異常に玉入れが上手な生徒がいたとしよう。そいつは誰よりも素早く玉をとり無類の正確さでかごに放り投げる天才なのだが、自分は出来るからと、他の生徒に対し極めて高圧的な態度をとるとしよう。「なんであんな距離で入れられないんだ」「俺の邪魔するなよ」と暴言を吐きまくる「仕事はできる人」にクラスのみんなはどう思うだろう。きっと士気は低下するだろうし、それでクラスが全体として玉入れに勝てるようになるとは思えない。じゃあ玉入れの天才が一人でクラスの成績を支えられるかと言うと、そこまで有能な「仕事はできる人」というのもなかなかいないものだ。結局クラスは玉入れに負けるだろうし、「仕事はできる人」自身はきっと自分が悪いことをしたとも思わず、下手したら翌年も同じようにクラスを負けに導くだろう。

 あまりに単純化した例だが、「仕事はできる人」の周りでしばしば起こることを簡単にまとめたらこんな感じで捉えられるだろう。同僚に気を遣わせまくる社員は同僚みんなのパフォーマンスを落としてしまうし、自分がどれだけ優れた業績を残していてもパワハラまがいの言動を繰り返す人というのは業界の芽を摘み将来の発展を妨げる人なのだ。そしてそんな人が「仕事<は>できる人」などと呼ばれるということはきっと、個人の業績や成果に対しその人が吐く毒素が周りの人にとっちゃそこそこいい迷惑になっていることのひとつの証左といえるだろう。仕事のできない身としては、「仕事はできる人」などと呼ばれるよりはそこそこみんなと楽しく仕事ができるほうがよほど良い。