個室にて

Ars Cruenta

生地をこねる余裕

 仕事の進捗は芳しくないけれど、昨日は思い切ってラビオリを作ってみた。生地からパスタを作るなんて初めてだったのだが、思えば昔はよく生地をこねてピザや小籠包を作ったものだった。一番多かったのはピザ。いつもたっぷり三枚分を用意して、寝かせている間に生地がぶわーっと膨らんでいくのが何とも言えず面白かった。小籠包は台湾に行っていたころ何度か作っていた。ラードを使うのは何となくカロリー過多になりそうだとオリーブ油を使っていたのだが、やはりあれはラードを入れて美味しくなる食べ物なのかしらと食べた後で思ったり、生地の厚さがまちまちで蒸し時間の調整が難しかったりいろいろあったが、結果とても満足したのを覚えている。

 思えば、生地をこねるというのは結構な重労働で、まずよほど慣れている人でないと、最初の時点で大変だ。粉と卵をうまく混ぜ合わせるのだが、粉は細かいもろもろとなってボウルと手にくっつきまくる。そこから生地をこねまくってひとかたまりにしていくのだが、これもまた意外と大変。やっとこさまとまったと思った生地を寝かせて、気持ちはもう半分くらい作ったくらいになっているのだが、ピザはともかく小籠包とラビオリはここからが大変だ。皮やパスタにするために、目の前の馬鹿でかい生地を今度は包丁で切って、成形してあの形にしていかねばならない。全工程を終えたところで、それは皮やパスタを作る工程にすぎないのだから、当然その先にソースづくりや餡づくりが待っている。

 こう書くと、美味しさのためにいろいろなものを犠牲にしているように感じられるかもしれないが、やってみるとこれが楽しいのである。料理が好きだから、というのもあるのだろうが、それ以上に気持ちにどこか余裕が持てる気がする。日ごろの食事は多少手をかけたとしてもなんだかんだ時間に追われていることが多く、メニューもなるべくさっくり作れて冷蔵庫の野菜を消費できるものが選択される。これに対しラビオリを作ったりブイヤベースを作ったりと思い切り手間がかかる料理を作っていると、たとえ仕事でやらなくてはならないことがたくさんあったとしても、食べ物と向き合っているうちに一度気持ちをリセットして落ち着くことができる、そんな気がする。