個室にて

Ars Cruenta

グラス恐怖症

 近代では、身分の高い人たちの間でしばしば「ガラス妄想」と呼ばれる奇妙な狂気がみられ、セルバンテスの「ガラスの学士」から哲学者たちの書物まで、様々な形で取り上げられる。要は自分がガラスや割れやすいもの(たとえばランプや尿瓶)そのものだと思い込み、その結果自分が砕けないようにと必死になるような症例で、より現代に近づくと現代版の「セメント妄想」などがあらわれる。

 自分はガラス妄想ではないけれど、ガラスがらみのちょっとした心理的障害がある。頭のなかでふと、ワイングラスを落としたり転がしたりして、グラスがパリンと割れるシーンを考えてしまい、なんとなく心身がこわばってしまうのだ。日ごろそれによって生活に支障が出るということはないのだが、飲食店に行くときにこのグラスの想像がよぎると、腕が急に固まってしまって、グラスを持つと震えたり、場合によっては箸を使うのもままならなくなってしまう。

 初めてここまでの症状が出たのは、久々に会う友人とバーにでかけたときだった。大好きなマティーニを頼んだ時、カクテルグラスを見てふと自分がグラスを割る想像をしてしまい、乾杯しようとするとさっきまで細やかな動きをしていた手指が全く動かなくなってしまった。ショートカクテルだから手が震えていると全部こぼしてしまいそうで、慌てて口をグラスにつけて飲み始めたのを覚えている。その後、二杯目はロングにしておこうとジントニックを頼んだが手が震えるのは同じで、何が何だか分からなかった。

 何度かこういう経験があるのだが、この現象が起こるのは決まって飲食店で、自宅では起こらない。そしてタチが悪いことに、家族の前ではめったに起こらず、久々に会う大事な人の前で起こる確率が高くなる。周りから見ればアル中の震え見たく思われていないかと怖くなるが、どこかで緊張の糸が切れてリラックスした状態になると治るのだ。先日も、一軒目でガチガチになっていた手が、二軒目ではいつも通りしなやかに動いて、普通にワインを飲めていた。

 病気と一緒で、自分で自分のことを想像しても当たることの方がまれだが、きっとコロナをはじめとしていろいろ人と過ごせない期間が続いた結果、人と会うこと、人とご飯を食べることそのものに対し、緊張を覚えるようになったのだと思う。そこで、「人前で粗相をしてはならない」という昔からある考えが強く出るようになった結果、あのグラスが割れる想像と、その反動としての腕のこわばりや手の震えが生じているのではないだろうか。たとえこの見立てが正しかったとして、どうすればいいのだろうと思うのだが、まずは大好きな人たちと会える喜びのなかで気取って過度な緊張を溶かして行けたらなと思う。