個室にて

Ars Cruenta

私服の話

 大学生の人と一緒に働いていて、その人が案外近くに住んでいたりすると、街中でばったり会うなんてことが一年に一度くらいは起こる。職場だとどうしても「服飾規定」なんてものがあり、たとえば黒いズボンしかダメだとか、華美なアクセサリはダメだとかいろいろな規制がある。しかし同僚に女性が多いからか、たまに私服姿で会うと職場では見なかったような可愛らしい服装をしている。ああこの人、こんな服着るんだという驚きもあるし、職場の服飾規定では見えないセンスのようなものを感じたり、素直に綺麗だとかかわいいだとか感じたり、いろいろだ。ただ翻ってそれをまなざす自分の姿を見てみると、職場にいるときとまず変わりない。黒いスラックスに赤いシャツ(黒いこともある)、なじみのスニーカーに赤か黒の靴下、職場にいるときと違うのは、ペンダントやブレスレッドをつけているか、帽子を身に着けているかどうかくらいか。

  実はこの恰好、今に始まった話ではない。少しずつデザインやズボンの種類は変わっているのだが、かれこれもう15年はこのスタイルで私服にしている。もちろんほかの服やズボンも少しはもっているのだが、こびりついた習慣なのか、Yシャツにスラックスというスタイルはなかなか変わらない。半ズボンを買ってみたはいいもののほぼ使うことなく夏が終わってしまった、なんてこともあるくらいだ。

 私服をここまで固定化してしまうと、コーデという概念がなくなってしまう。昔、「銀魂」というアニメをたまたまつけていたら「主人公たちはなぜ同じ服を着ているのか」という(架空かどうかわからないが)読者の声に主人公が「同じ服をたくさん持っているから」というようなことを答えていたのを思い出す。あれとまさに同じ感じなのだ。たまに遊びで別の服を着たいと思うこともあるのだが、コーデをしたことがないから服屋さんに行くのがどことなく怖い。財産もないから、百貨店などのサービスでコーディネーションしてもらうのも怖い。10年後も「今年は服の福袋でも買おうかな」とか言いつつやっぱり買わない自分が容易に想像されてしまう。

 人からどう見られるかはあまり考えないようにしているのだが、友人はたとえばファッションについて自分のことをどう見ているのだろうか。いい加減変えろよと思っているのだろうか、それともそもそもどうでもいいのか、あるいはある意味ではぶれない自分を評価してくれているのだろうか。私が私の友人なら、この人はそういう人なんだろうで終わるのかもしれないし、だからこそ私はそういう人なのかもしれない。