個室にて

Ars Cruenta

物を売る人

 ただでさえ忙しい年の瀬にとあるところに置いていた冷蔵庫が壊れてしまった。前にも経験があるのだが、突然冷蔵庫が壊れるのは本当に困る。冷蔵庫の中に入っているものを足していけば、もともとの冷蔵庫の値段に匹敵するんじゃないかと言うくらい、いろんなものが凍っていたり、入れられたりしているからである。朝の仕事を終えて急いで梅田に向かい、手ごろなサイズと値段のものを見繕おうとした。

 ところが欲しいサイズが微妙に小さなもので、あまり種類がない。あれもこれもすべてがうまく条件に合うものがない。悩んで三人ほどスタッフの意見を聞いていたのだが、「条件Aを求めるならこっち、条件Bならこっち」とか、「おすすめとしてはこれ」というところまで言ってくれるのだが、いまいち決めかねていた。

 色々他の事情もあって、たぶん一時間半くらいは狭い冷蔵庫コーナーで首をひねっていたのではないだろうか。ふと若そうな男性がこちらに近づいてきて、他のスタッフと同じように何か伺いましょうかと来た。すると彼はこちらの要望を一通り聞くと、それならこれと商品をオススメしてくる。そこに疑問点や言っていない情報を加えると、それならこんな機能はいらないからこれ、というのが何度か続き、最後はサイズが決め手となって「じゃあもうほかの商品を見ないでいい、この子(冷蔵庫のことである)にしましょう」とものの5分ほどの会話で決めさせてしまった。

 帰りしな、どこか言いくるめられてしまったような気持になっていると、「決められない人に決めさせるのが良い販売員じゃないか」と言われた。確かにそうかもしれない。きっと彼がいなければ、あのままボーっとした頭のなかであれこれ思いながら買い物を決めることになっていただろう。別に押しが強くて嫌な印象というのもなかった。推奨販売でやらないといけないであろう浄水器の説明も、聞いていて嫌なものでもなかった。そう思えば確かに、買わせる仕事が強引なものだったとは言えないし、買わせるのも一つ技術なのだなと改めて思わされたのだった。

 家電のスタッフと同じにしては(お互い)困るだろうが、たとえばメニューに書いているものを頼んでもやってくれない飲食店なんかも、おそらくは何かそれでも客を引き寄せるものがあるから飲食業が成り立つんだろう。それは味の良さであったり、存在するメニューを頼めなくする中で生ずるコミュニケーションであったりする。

 そこに置いておけば売れるものは売れる、という考えは、肩を押して試させることより倫理的なのだろうか。そうだとすればなぜだろうか。あるいは、お節介で顔色の悪い人にこってりラーメンを提供しないことは悪いことなのだろうか。物を売る人の技術や考え、それを取り巻く職業倫理は、思ったよりも複雑なもののような気がする。