個室にて

Ars Cruenta

舞台に立つ

 前に「バックステージ」というタイトルで記事を書いたことがあった。そのときは「JUDGE EYES」の章タイトルを意識してこのタイトルを採用したのだが、思えば四月に新しい仕事を始めて以来、なんとなく「演じる」とか「舞台」といった、演劇にまつわる言葉遣いをすることが増えたような気がする。

 たとえば小売で働いていると、かなり厳格に文言が決められている。このタイミングでお辞儀をしなさい、ここでこう言いなさいという(面倒くさい)決まりが、大手では必ずあるはずで、それを守らないとしばしば怒られたり、場合によってはなぜかクレームになったりする。こういう決まりを守って声を張り上げることは、それこそ一種の演技のように見えないこともない。しかしこれまで、自分が小売りのスタッフを「演じている」と思ったことは実はなかったりする。どれだけルールがあったとしても、自分はやはりある程度は素のままの自分であって、客やスタッフとも割と自然体でいるような気がする。

 これに対し新しい仕事は人前でしゃべり続ける仕事で、喋る内容も小売のルールと違って、ある程度のことは決められているけれども自由度が高いと言える。だけどどういうわけだか、ほかにどこかでプレゼンしたり発表したりするのとは違って、壇上に上がるときなぜか舞台に登っていくような気持になる。何となく心のなかで「よっしゃやるぞ」という掛け声を挙げて、バックステージから表舞台に出ていく、そんな気持ちになるのだ。だいぶ回数を重ねて喋るうえでの技術とか、時間のコントロールといった技術面は慣れてきた。また、自分が言いたくないことを言わなきゃいけないとか、何かを言わされているということも一切ない。でもいまだに、なんとなく演じている感が拭えない。好きにやっているはずなのに、役者を演じているような気持になる。

 理由を色々考えてみたのだが、どの理由も何となく腑に落ちなかった。ただ、どこかで自分には荷が重い仕事をしているという感覚なり、何か精神的な負担みたいなものがあって、それで仮面をかぶって表に出なきゃいけないような気持になっているのかもしれない。素のままの自分だけど、何かを押し殺すか抑え込むかして、気丈に振舞ったり無理矢理笑顔を作ったりしなきゃいけない、そういう感覚を演劇の比喩で言い表しているのかもしれない。そういえば哀しい出来事が起きて赤の他人と対応しなきゃいけないとき、そういうときにも同じような気持ちになって舞台に上がるような気持になる。慣れない仕事だけど、いつか良い意味でも悪い意味でも慣れてきたら、もっと気を楽に取り組めるだろうか。まずはしっかり演じていこう。