個室にて

Ars Cruenta

気配

 人に話しかけると、ときどきびっくりされることがある。こちらからすれば歩いて近づいて普通に話しかけただけのつもりなのだが、「うわっ!」とか言われてしまう。相手が集中しているときとかならいいのだが、いろんな人にこういう反応をされるとやはり不思議な気持ちになる。そこでどうしてそんなにびっくりしたのか聞くと、みな一様に「気配を感じなかった」と答えるのだ。これだけだと、いたずらに私が後ろから近づいて声をかけているんじゃないかと思われるかもしれないが、逆に相手がこっちに近寄ってきたときも、向こうが勝手にびっくりすることがある。部屋のなかにいて、明かりもつけてコロナ対策で扉も開けているのに、入ってきた人が「うわっ!」となったこともある。「もう一人いるなんて思わなかった」らしい。

 あまりそういうことが続くと、なんとはなしに自分の歩く時の音に注意を向けてしまう。屋外でそうドタバタ音を立てて歩く人はいないだろうが、室内で靴を履いているとそれなりに靴の音はしている。歩いていれば服がこすれる音がする。そして何より、ここ半年ほどは家のカギに水琴窟のような不思議な音のする鈴をつけているのだ。歩くとチーンチーンという少し高音の音がして、屋外でも割と目立つはず。それなのにどうも気配がないがゆえにびっくりされてしまうらしい。

 そう驚かれたとき、いつも「実はもう(私は)死んでいるんですかね」などとブラックジョークを吐くのだが、そんなに気配がないのなら、潜入とか尾行とか、ゲームに出てくる探偵の仕事なんて実は性に合うんじゃないかなんて冗談で思ったりする。そうこうしているうちに、勝手にびっくりしたはずの相手から謎のしっぺ返しを食らうこともある。休憩中、窓辺で音楽を聴きながら星を見ていたら、不意に同僚からわき腹を人差し指で押されて自分でもびっくりするような悲鳴が出た。お互いゲラゲラ笑いながら、「いったいどんな音量で音楽聞いてるんですか」と怒られるのも、たまにはいいのかもしれない。