個室にて

Ars Cruenta

停電の夜

 昨夜、午前1時に急に電気が消えた。マンションから告知されていた施設管理のための停電のことをすっかり忘れていたのである。忘れていたというと少し違うかもしれない。我が家はてっきりその日、一時間ほど断水になると思い込んでいたのだが、その断水の原因はポンプを駆動させる電気が止まるからだったのだ。急に電気が消えて、テレビが消えて、次に気づいたのは、とても静かになったということだった。

 日常生活ではあまり気にしないかもしれないが、電気で動くものは案外音を出す。業務用の冷凍庫は小さくヴーという音を発し続けているし、換気扇はファンファンと音を出す。それと同じようにパソコンのファンは音を発するし、除湿でも冷房というのは小さな音を立てている。それがいきなり消えて、外で大きな音がしない限りかなり静謐な空間というものが突然立ち現れた。もちろん停電しているので真っ暗闇なのだが、昔森にしょっちゅういたこともあって目はすぐに慣れてしまった。なんとなく良い環境だなと思い、ベランダ越しに外を眺めながらワインを飲んでいた。

 心のどこかで真っ暗闇で人間のやることなど暗殺か夜逃げかくらいしかないものだと思っていたが、不思議とお酒は進んだ。手元のスマホでできる仕事をして、いろいろなことを考えながら、気づいたら30分ほど経って、急にインターホンのピンポーンという音が部屋に鳴り響いた。どうやら電力が復帰したらしい、あれほど静かだった電化製品たちが再び元気に音を出し始めた。

 もちろんこんなに余裕たっぷりになれたのは、この停電が計画停電だったためである。食べ物に目がない私はそれでも、冷蔵庫と冷凍庫の食材が心配で仕方なかった。停電のため、Wifiも使えなかった。本当に突然、大変なことが起きて何日も停電が続いたら、こんな余裕は持てなかっただろう。しかし計画停電だからこそ、(忘れていたため最初は戸惑ったが)落ち着いて久々の静かな時間を過ごせたようにも思う。そういえばあのピンポーンの音はマンションの各戸で鳴り響いたのだろうか。我が家は夜に暮らす家だったからいいけれど、夜が早い家はびっくりしたのではないだろうか。