個室にて

Ars Cruenta

Lost Judgmentと二つの正義

※ネタバレしかありません

 Lost Judgmentの本編を終わらせて数週間は経つだろうか。いじめ加害者に対する十数年ぶりの復讐、その裏で、かつていじめに加担した生徒たちを使って悪質ないじめ加害者たちを何人も殺してきた元国語教師、そして「カタギ」の心優しい一人の先生を「国のため」と言って平気な顔で殺す公安の潜入。歴代「龍が如く」のパワープレイや「龍が如く7」にみられるRPG的展開とは違う、あんまりにも現実味たっぷりでえげつない物語の展開にすっかりはまりこんでしまい、プレミアムアドベンチャーで今更猫と触れ合えるようになったり、ユースドラマを進めることができたりしている。Judge Eyesでは「夢の認知症治療薬が、実は飲めば必ず死ぬ毒物だった」というオチが物語のリアリティを拭い去っていたが、実際今回も「教え子を使っていじめ加害者を殺しまわる」なんて突拍子もない発想が抜けていたら、あまりにリアリティがあって発売できないものになっていたんじゃないかというくらいだ。

 前作同様、この作品でも「正義」というのがキーワードになるわけだが、結局この正義をめぐって主人公・八神と元国語教師・桑名は最後まで対立する。いじめ加害者を殺しまわる桑名にとって、被害者家族が加害者に刃を突き立てるのは当然の権利のようなものであり、それを法で裁くことはむしろ正義に反する。しかし八神は、そうやって被害者家族を守ることが、共通の知り合いであり事件とは無関係な澤先生の死に繋がったことを強調する。法は不完全かもしれないが、被害者に対するセーフティネットとして進化し続けている。だけどそれでも守れないものがあるならば、自分がその場で守って見せると彼は言う。

 ところで、半グレ集団レッド・ナイフのリーダーでもありその正体が公安の潜入でもある相馬は、一国の大臣である被害者家族と事件の関係に感づきうる存在であった澤先生を「正義を実感しながら」殺したのであった。その際彼は、それが潜入としての自分の仕事であり、国の秩序を守るための必要悪なのだと言い放つ。桑名と相馬はここで奇妙な一致を見せる。ふたりはともに、自分が正義を行っていると信じている。しかしその正義は、常に自分たちがやっているある行為より前の時点に起きた何かを守るために行われている。言い方を変えると、彼らの行為は常に、過去を参照しないと正当化できない。

 たとえば桑名はいじめ加害者を殺す。この殺しが(仮に個人のなかで正当化されるとして)正当化される根拠は、加害者がかつて被害者を死ぬほどまでにいじめていたという事実にしか求められない。被害者家族がいじめ加害者を殺す。この行為が正義になるのは、被害者家族が被害者になったという事実にしか求められない。相馬にしても同じことで、彼の行為が国の秩序を守る正義となる根拠は、過去に起きた「隠されるべき出来事を隠すため」でしかない。こう考えると澤先生をめぐる両者の違いがよく分かる。相馬にとって澤先生を殺すことは、過去の参照点に従って隠されるべきことを隠すがゆえに正当化される。これに対し桑名の場合、澤先生は過去をいくら参照しても殺されるべき存在ではない。だからといって彼は過去を参照せずに捉えられる正義というものに目が向かない。だから彼は澤先生の死をもはや「事故」としか捉えられなくなっている。ただ、いずれにしても八神にとっては、過去を参照しないと訴えられない正義が現実に目の前で死んだ人間を黙殺したり事故としか捉えられなかったりすることは許されないことだったのだろう。だから彼は最後、澤先生の無念を晴らすためにも桑名と拳を交える。

 歪んだ正義にはまた別の歪んだ正義が入り込む。桑名と相馬は同じ穴の狢だ。私たちだって、過去にある参照点を決めて、それによって正義を訴えれば、簡単に同じ穴の狢になりうるだろう。もちろん、桑名や相馬のように極端な例は滅多にないだろうし、どこかで私たちは「法」という主観的ではない何かに期待しているからこそ、八神というキャラクターが説得力を持つのだろう。

 と書くと八神はとってもかっこいいのだが、セーフティネットとしての法がうまく機能しないときに誰もが人を守れるわけではない。八神は強いから、彼が偶々目の前にいてくれたら人々は助けてもらえるかもしれない。でもそこにいない人はどう助けてもらえるのだろうか? 八神のように強い人がいなければ、被害者はやはり泣き寝入りするしかないのか? それとも八神のように拳でダメなら、もっと強い力に訴えることも許されるのか? 桑名が全国各地で人を殺しているという設定は、確かに突拍子もないものの、かえって八神の正義へのアプローチの限界を自然と示していると言えるかもしれない。二人は結局互いの正義に納得しないまま別れることになる。

 物語の最後は匿名の通報に関するニュースが流れる。匿名の通報によって見つかった五人の死体はいずれ、どれもいじめ加害者だったと分かるだろう。そういえば桑名の目的のひとつは、自分がいじめ加害者を殺しまわることでいじめ加害を抑止するというものだった。ここにきて、桑名の通報行為という彼なりの「正義」はどうとらえればいいのだろうか。それもやっぱり過去の参照点に訴えないといけない正義なのか。それとも桑名の最後の行動は八神流の「セーフティネットが機能しないとき」人を守る守り方の最も悪辣な形なのか。これに対する八神の答えはない。