個室にて

Ars Cruenta

連鎖する夢

 調子が悪いときに限って、明晰判明な夢を見てしまう。現実から逃げたいかのように、夢のなかにいる時間が長くなる気がする。もちろん気まぐれな夢のことだから、それぞれのシーンはほぼ独立していて、あまり関係があるようには見えない。一度目が覚めてまた寝れば、やはり違う夢を見ていることがほとんどだ。しかしそれでも、夢のなかで「前もここに来た」という感覚を覚え、夢のなかで先ほどの夢を回顧するということがたまに起きる。今日も幾つかの夢を見ていたが、最後の夢を見たときに「これはさっきいた旅館だな」と思い出し、お風呂が停電で止まってしまうんだったなと思っていたところに「お風呂が止まったぞ!」と番台のような格好をしたおじさんが声を上げていたのだった。

 精神分析学の授業で、夢の中の構造が神話などと構造を共有しているという話を聞いた。当時、この手の話はどこか身近な学生たちの間で眉唾ものの話のように受け取られていて、どこかオカルティックなものとして受け取られていた。しかし自分はその話を聞いた時、なんとなくさもありなんと思ったものだ。自分の夢を分析するつもりはさらさらなかったが、きっと夢のなかで夢を思い出すという夢にも一連の構造があって、その構造の後背には一種の精神状態があるのだと何となく直感する。というのも、はじめに書いたとおり、調子が悪いときに限って明晰判明な夢を見てしまい、夢のなかで夢を思い出すには夢のなかのことをしっかり記憶しておく必要があるのだから。

 起きてからもこうして夢のなかのことを考え続けていると、また夢のなかに戻っていきたくなる。だからこういうときはお寝坊さんになる。起きようと思えば朝のモードに切り替えられるのに、雑音にもかかわらずもう一度寝てしまおうと思ってしまう。やはり現実逃避なのだろうか。それとも夢のなかがそんなに心地よかっただろうか。夢のなかが心地よいほど、懐かしい心地よさに満ちているほど、起きたときの傷は深くなるというのに。