個室にて

Ars Cruenta

目は口程に物を言うのか

 「目は口程に物を言う」という言葉がある。その人の目を見ていれば、その人の考えが喋っているかのように分かることからこういう風に言われるのだろう。でも、目を見てわかることというのは本当にそういうことだろうかと時々疑問に思う。たとえば会議で人の目を見てわかるのはその人が議論中の案件について肯定しているか否定しているか懐疑的に考えているかくらいのもので、目のスピーカーからその人の具体的な意見なんてものは聞こえてこない。目を見てその人の考えが分かるというのは、実はいちいち目を見てその人の考えを判断しているからではなく、目を見てその人がどのような性格・人となりなのかを判断して、そこから一一の小さな挙動に推論を働かせているのではないか。そんな気が最近はしている。目は口程に物を言うのではなく、(もっと人を理解するうえで重要な)その人の口の動かし方を示唆しているのではないか。

 昔はたいてい誰の目でも見ていたが、最近は人の目を見ないようにしている。陰気な人間だと思われているのかもしれない。まあそれでも目は合ってしまうもので、醜い目もあれば見ているだけで心が救われるような綺麗な目もある。自分は今、どんな目をしているのだろう。昔誰かから、「その目を見ているだけで愛着を感じてくれているのだと分かる」というようなことを言われてすごく嬉しかった覚えがある。誰の前でも同じ目でいるわけではないだろうが、私はまだあの目を覚えているのだろうか。

 その人の目はなぜそのような目になるのだろう。赤の他人相手に敵愾心たっぷりの目は、どんな人生を送ってそうなったのだろう。大人になってもどこか子供っぽい目は、どうしてそうなったのだろう。不思議なことに、今でも時々、ある人の目を見ていて平気な場合がある。普段ならすぐにそむけてしまう目を合わせられる人がいる。前もこんなこと書いたな。あれはなぜなのだろう。見たい目は別にあるのに。