個室にて

Ars Cruenta

「できる人」

 先日久々に近所のブックオフを訪れた。初めて入ってからもう15年にはなるだろうか、昔は岩波文庫や各種新書もそれなりに充実していて、回転率が良かったからだろうか、100円でいいものも手に入っていたのだが、行くたびにプラモデルやゲームのコーナーが広がり、漫画が増え、一般書はそれに対応してどんどん肩身が狭くなっている印象だ。コーナーが狭くなっているのが良く分かる証拠として、一つの棚に所狭しとジャンルを書いた札が大量に差し挟まれていることが挙げられよう。

 そんななかでも自己啓発書というのは一定の読者がいるのか、割かし広いスペースにいろいろな本が並んでいた。何の気なしに見ていると、ビジネス関係の自己啓発書は「できる人」「できる男」がひとつのキーワードになっているようで、このキーワードの付いた大量の本が並べられていた。

 もとより自分はあまり自己啓発書というものを信用しておらず、仮にそれが良い啓発書だったとしても、実際に重要になるのはそれを読む個人がそこに書かれていることをどれだけ実践にうつせるか、習慣化させ自分のスタイルとして身に着けられるかにかかっているように思う。実は大事なのは啓発されるべきルールを知ることよりもルールに沿って生きていくことで、ルールに沿って生きていくことがなかなかうまくできないから自己啓発書を読むことになっているのではないか、という気がしなくもないのである。「こうすればポジティブに生きられる」といろんな方法を教えてもらったところで、それでみんながポジティブに生きられるならうつ病などなくなってしまうことだろう。実際のところそこでは行動をする、あるいは規制する練習が必要なのであって、それは個人にはなかなか果たせない場合もある。

 大量の自己啓発本を見ながら、ここに本を売りに来た人はどのような心境でこの本を持ち込んだのだろうかと考えた。もしその人が「できる人」になったのならば、ここに置かれている本は幸せの御裾分けだろう。でもその人が「できる人」にならないまま本を置いていったのだとしたら、このコーナーはさながら夢の墓場のようじゃないか。もっとも「できる」といっても、何ができるのが嬉しいのだろう。その人は「できる人」になりたかったのか、それとも「できる人」にならないとどうにかなってしまう事情があったのだろうか。そんなことを考えていると気持ちが悪くなってしまって、小説を買って外に出た。近くの電柱の根っこから、小さなオレンジ色の花が咲いていた。