個室にて

Ars Cruenta

大事だけど大事にされないお金

 世の中には、大事だと言われているけれども大事にされていないように見えるものがある。その典型例はなんといってもお金じゃないだろうか。たとえば関西の人はお金にシビアだとよく言われる。このような表現は、自分のお金を大事にしている言葉のように聞こえるが、街中を流通する現金はどうだろう。三つ折り財布やポケットに入れてぐしゃぐしゃに折りたたまれた紙幣、レジの床に落とされて放置された硬貨、あるいはキャッシュトレーを出されていないのにぽんと机に放り投げられるお金、自動釣銭機でのおつりの取り忘れ、こうした景色を全く見たことがない人というのはあまりいないのではないだろうか。

 確かに概念としてのお金と現物の現金の間にはギャップがあるのかもしれない。しかし風で飛ばされた紙幣や床に落ちた硬貨は当然その人の「なくしもの」になってしまうし、ぐしゃぐしゃにポケットに詰め込んだお金を洗濯でもしてしまえば、場合によっては新しいお金に換金できないような事態になるかもしれない。あるいは現金そのものでなくても、現金化可能なポイントをみすみす期限切れで失ってしまったりする事例はよく聞く。こう考えるとやはり、「お金が大事」と言いつつ大して自分の持っているお金を大事にしていないのかもしれない。たとえばむしろ、支払いのときに自分が得をしているという感覚の方が大事なのかもしれない。