個室にて

Ars Cruenta

「書かなくてよい状態」

 10日もブログを更新していないことにふと気づいた。継続は力なり、という言葉があって、前にこのブログでも続けることそのものが持つ効用について偉そうに語っていたわけなのだが、なんとなく今は、真逆の感情がわいている。今の自分は、ブログを必死になって書かなくてよい状態になっているのではないか、そんな気がするのだ。

 どれほど単調な日々を過ごしていたところで、環境は少しずつ変わるし自分自身も少しずつ変わっていく以上、書く話題になる些事はいくらでもあるはずだ。心のどこかに書き留めておきたいこともたくさんあるに違いない。ただそれを、このような公開ブログの形で毎日更新するというのは、話題がたくさんあることと少し異なる。

 思えばこのブログを再開したときは、のっぴきならない状況だった。正直者が馬鹿を見ると言えば自分に都合の良い表現になるが、あれもこれも失って新しい環境に慣れず、「この世のことはこの世でしまいよ」と思いつつもどうしようもないときに、とにかく何かを書いて、誰も読まなくてもネットの海に吐き出すことを療養のように続けざるを得なかった。ほかにどうすればよいのかもわからなかった。そのころに比べれば、今は気持ちも多少は安定し、新しい環境にも積極的になれようとしているし、考えなくて良いことを考えないようになっているような気がする。まあ単純に忙しいというのもあるのだが、そのようななかでこの「書かなくてよい状態」が生じているのだとすれば、それはそれで良いことなのかもしれない。

 ちょうど、最近出たジョージ・オーウェルの解説本を読んでいた。多産の彼も、のっぴきならない状況で何かを書かざるを得なかったという点では、似たようなところがあるのかもしれない。もちろん、このブログとオーウェルの評論を同列に語っては鼻で笑われてしまうだろうが、ふと架空のバー海月亭の記述をはじめとする彼の「ゆるい」と言われるエッセイ群も、『1984』や『動物農場』の過酷な場面とは異なる意味合いの切実さ―日常性という繰り返されてきた切実な問題―を伴っていたのだろうと、そんな気がしたのだった。