個室にて

Ars Cruenta

兼近さんの言葉

 高校時代の自分は、実に不遜で能力もないのに名誉を求める典型的なダメ人間だったように思う。たまたまある出来事をきっかけに勉強ができるようになったから良い大学に入ってそこで更なる幸運に恵まれたものの、幾つかの幸運に恵まれていなければ、きっと今でも人間の屑のようなものになっていたのだろう。いや、大学に入って更なる幸運に恵まれても、いろんな人を傷つけながら生きてきた。

 先日、24時間テレビ恒例の100kmマラソンで兼近さんの姿を見て、彼の姿にとても勇気づけられた。あの100kmを笑顔で走り切るということは、明らかにあのマラソンの持つ意義を大きく変えたのだが、合間のインタビューで彼が自分の犯してきた罪をテレビカメラの前で率直に語った姿が衝撃的だった。成り上がってしまうと人は自分の犯した小さな罪を隠そうとするものだが、彼は逆に自分に大きな注目を集める大一番で自分の罪と向き合った。その姿を見て、なんてすごい人なんだろうと素直に思ったのだ。

 もちろんこの小さなブログで自分の罪をいちいち列挙したってしょうがない。当事者に謝ったって、何をいまさらだろう。ただそれでも、自分にとって不都合な事実を忘れないでおくことはこれから人を傷つけないために少しでも役に立つのではないか。邪魔になった人間をヴェールの向こう側において清廉を貫いたところで、ふとした瞬間に化けの皮が剥がれる。何度も同じ間違いを犯したこともある。人間は間違える生き物だ。間違えても学べないかもしれないが、間違えたことと向き合うことまで忘れては、ただの厚顔無恥になってしまう。自分は人を傷つけたのだ。その分、血を流す覚悟くらい決めなきゃいけないだろう。

 先日、初めて謝辞を書いた。その時、上で述べたようなことが頭をぐるぐるして、いつの間にか自分は自分が傷つけた人に詫びの言葉を入れていた。謝辞は通例、世話になった人たちへの感謝を述べるもので詫びを入れるのは入稿の遅れなど出版に関わるお詫び程度のものが多いのだが、これまでいろいろやらかしてきた自分には感謝と同じくらい詫びを入れないといけないと思った。