個室にて

Ars Cruenta

堤を作る

 先日ツイッターで、「子供はどうして砂で堤を作るのが好きなのか」というようなことを呟いておられる方がいた。最近は仕様が変更したのか、知らない人のツイートがポンと出ては、次の更新で消えてしまったりするのでリツイートなどもできなかったのだが、よくよく考えてみると自分も必死になって堤を作るタイプだった。

 昔住んでいた家の近くに小さな公園があり、滑り台の下に小さな砂場があった。小さなころはそこでお砂遊びをしていたわけだが、小学2年生くらいのころだったか、私はある日、砂場に堤を作ってそこに水を張るという遊びを思いついた。そこからどんどん遊びはエスカレートしていき、最後は雨の降る日に雨水の流れを砂場でコントロールするよう必死になって砂を掘り返していた覚えがある。

 何が楽しかったのかと言えば、きっと堤を作ることで水の流れをコントロールできるということが快感だったのだと思う。これはドミノ倒しに夢中になったのと似ている。個々の物体を並べて、わずかな力を加えるだけで「すべてのドミノを倒す」という結果をコントロールする。小さな子供にとって堤を作ることやドミノを倒すことは、自然をコントロールする快感を得る一つの方法だったのではないか。

 もしそうだとすると、堤づくりに飽きるのもよく分かる。要は、堤はサステナブルなコントロールを提供してくれない。ほかの人がつぶすのか、自然と崩れるのか、管理人に整備されるのかは知らないが、三日も経てば必死になって頑張ったあとはきれいに消去されてしまう。それを見て、何となく自分が全能感を味わっていたコントロールがつかの間の妄想にすぎなかったと思わされるのだ。そこからさらに徹底したコントロールを求めるようになるか、それとも自然に太刀打ちできない人間像に思いをはせるのかは、人によって違うのだろう。

 それにしても、昔は本当に、雨のことなどなんとも思わず走り回っていたものだ。「ブランド物を身に着けると泥んこ遊びは出来なくなる」という旨の言葉はよく聞くが、大した服を着ているわけでもない自分が、雨が降っているというだけで外に出るのがおっくうになっている。大気が不安定で心も不安定になっているところもあるのだろうが、たまにはちゃぷちゃぷと雨を楽しめる気持ちを取り戻したいものだ。