個室にて

Ars Cruenta

温かな冷静さ

 もう半月ほど前になるのだが、我が家でちょっとした事件があった。仕事に出て行った父が、交差点で事故に巻き込まれたのだ。私はその日、遅番の仕事だったからお昼まで寝るようにしていたのだが、血相変えた母が朝っぱらから「お父さんが事故に遭った!」と飛び込んできたというわけだ。

 そのときの自分の反応は、自分でも驚くほどドライなものだった。もぞもぞと身体をうねらせてスマホをとり、「どこで?」「何と?」と母に聞く。慌てて家を飛び出す母に「すぐに行く」と応じたら、服を着替えながら「本人が電話かけてきたから意識はある、あとは骨が折れているかどうかか」などと思い、「まずは店先に臨時休業の張り紙だな」などと考えている自分がいる。

 事故現場に着くと、ちょうど母は救急車に乗り込むところで、警察との対応は私が行うことになった。遠くから現場が見えてくると「撮れるだけ撮っておこう」とスマホを取り出して現場の写真を撮っている。散乱した荷物の写真を撮りながら、血痕がないことを確認し、「とりあえずタイヤでひき潰されたわけではないだろう」などと思う。相手は車だが、どうも当たって突き飛ばされた程度で済んだようだ。自転車は多少歪んでいるかもしれないが形はしっかり保っているし、そこまで大きな事故に至らず済んだかしら・・・。警察とやり取りをして加害者と対面し、連絡先などを交換してから自転車等を引き取り、急ぎ臨時休業の張り紙を出してから病院に向かう。幸い骨折もしていなかった。タクシーに父を乗せて家に帰ると私はしれっと出汁を取り始め、まずは何か食べて落ち着こうと蕎麦を湯がき始めたのだった・・・。

 こうやって事実だけを書き並べていくと、実の父親が大変な目に遭っているのに何も思わない不肖の子供みたく見えてしまうかもしれないが、もしあのとき私がパニックになっていたらどうなっていたんだろうと思う。心配や不安を表に出すのは簡単だが、それをしたからとて、状況は何も変わらないじゃないかと思うのだ。感情を共有することが大事になるときもあれば、感情を吐露することが足手まといになることがある。そして得てしてトラブルが起こったときは、後者の場合に当てはまることが多いのだ。

 どんな仕事でも、今回のような日常生活のトラブルの場合でも、「冷静さ」を「冷酷さ」と区別することはとても大事だ。パニックに陥らず、かといって無慈悲に陥らず、目の前でできることを一つずつやっていくことが問題の解決につながる。そうした温かな冷静さをもっとしっかりと身に着けていきたいものだ。