個室にて

Ars Cruenta

バックステージ

 最近、事あるごとに自分のお役目は帳尻合わせと涙をのむことにあるのだなと思う。たとえば自分の尻ぬぐいもできない人の代わりに余計な作業をこなして帳尻合わせをして、「いえいえどうということはないですよ」と言いながらバックステージでポタポタと血の涙を流しているような感じ。気持ちが大変荒んでいる。

 数年一緒に働いている人に、つい先日「誰かのことをかわいいと思ったりすることはあるのか」と聞かれた。ちょうど彼女の新しい髪形を褒めたばかりのことだったから、形式的に褒めたと受け取られていたのかとちょっと一瞬唖然としてしまった。たびたび事務作業の速さなどから「人間だとは思えない」とお褒めの言葉をいただいたものの、そのレベルで扱われていたのは何気にショックだった。あれこれ作業をすごい勢いでこなして面倒ごとを解決する人間には感情がないくらいがちょうどいいくらいに思われているのだろうか。

 まあ、確かに感情をあまり人に示すことってないかもしれない。どんだけ怒っていても、あまり大きな声も出さない。口で言ってきかなきゃ放っておくことの方が多い。どんだけ涙が溢れそうなほど哀しくても、滅多なことでは哀しみについて人には言わない。吐露したところで結局感情の世話は自分でつけないといけない。怒鳴りつけたり人前で大泣きしたりと、種々の暴力に訴えるということで一時的に相手を支配できるかもしれないが、それは相手の操縦桿を自分が握るということを意味する。操縦桿を動かしたくなるたびに相手に暴力をふるう、そんなこと、継続的な人間関係の間で成り立つことではない。すぐに何かが壊れてしまうだろう。

 上司に「最近だいぶすれてきたね」と言われて、つい「ええ、いろいろありましたから」と答えてしまった。でも、そんなにここ数か月ですれてきたのだろうか。それとも、にこにこしている化けの皮が剥がれてきたのだろうか。どちらだろう。人の目を見る練習をしなきゃと言いつつ、面倒が起こるたびに流し目になっている自分がいる。しかし、この化けの皮も、ある種の真実を含んでいる。それは化けの皮かもしれないが、無理やり作った偽りの笑顔ではないからだ。自分がすれていたにせよ化けの皮を落としたにせよ、まだそこに何かしらの偽らざる笑顔が残っているとは信じたい。仮面の下にはやはり、人間の顔があるはずだと信じたい。