好きな言葉はなんですか、とか、座右の銘は何ですか、と聞くアンケートが少し苦手だったりする。自分で考えて何かを書かないといけないのも、人の答えを見るのもあまり好きではない。そういう性質だから、よく企業のお偉いさんが自分の経営精神などを一言にまとめているのをみると、「あーあ」という気分になる。自分が所属している/いた組織でもしばしばそういうことがあって、そのたびに「自分は座右の銘など持たないようにしよう」と思ったりする。
なぜそう思うのかと言われると、これも答えに窮するのだが、要はその人のスタイルをうまいことあらわす短い文などないと考えているというのが大きいような気がする。その人の生き方をあらわすものがそうそう都合よく諺や慣用句の中に見つかるなんて思えないし、自分でこれが座右の銘だと自分で考えた文を決めたとしても、そうなのだ。仮に当人がそう信じていて、しかも本当にいつもそんな諺や慣用句を胸に生きているのだとすれば、それは生き方を反映した言葉を選んでいるのではなく、選んだ言葉に生き方を合わせているのではないかという気がしてくるのだ。もしそうだとしたら、本末転倒ということになる。
好きな言葉はたくさんあっていいし、そのときそのときで耳にしたい言葉(≠耳ざわりの良い言葉)というのは少しずつ違ってくる。こうした経験の積み上げがその人の生き方に反映され、ゆくゆくは日ごろの言葉に反映されていくのだろう。あまり自分がこうなると思って色々しないほうがいい。薔薇の名前じゃないが、名前を付けることよりも自分らしくやっていけばそれでいいのだ。たぶん。
ちなみにこの記事を書こうと思い何とはなしに「座右の銘」で調べてみると、自己紹介や就活で使える座右の銘50選みたいなのが一番最初に出てきて、思わず笑ってしまった。就活のときに都合の良い座右の銘を決めて会社に勤める人はきっと、その会社のお偉いさんが座右の銘を口にしたところで何も響くところがないだろう。座右の銘を要請する環境そのものが、座右の銘の価値を貶めているのだとすれば、それもそれで残念な話だ。