個室にて

Ars Cruenta

命の値段

 少し前に、近所に大きなペットショップができると聞いた時のこと。何店舗もある大きなペットショップなのだが、そこが提供している「生命保障制度」という制度にドギモを抜かれた。てっきり保険のように、病気のときに医療費を負担してくれる制度なのだろうかと思いきや、なんとペットが万一亡くなった際に、「代わりのペット」を提供するという。

 確かに人間だって元気な赤ちゃんだと思っていた子供が急変してなくなるケースはあるだろうし、ペットショップのペットだってその点は同じかもしれない。しかしこのペットショップの生命保障制度は1か月や3か月の保障期間のみではなく、ペットを飼う際の値段の1.5倍を支払えば100か月間保障してくれるのだという。100か月と言えば、8年4か月、人間でいえば生まれた赤ん坊が小学3年生になるくらいか。しかし犬や猫の寿命はもっと短いわけで、この年月は犬だとおそらく一生の3/4以上、猫でも半分程度に相当することとなる。

 百歩譲って、迎えてひと月の若いペットが急な、そして飼い主に予防できないほど想定外の事故や病気で亡くなって、その哀しみを別のペットを迎えることで抑え込みたいという気持ちはまったく分からないわけでもない。また、ペットショップでペットを購入するのは相応に高額な買い物であるから、万一そういうことが起こってもそう簡単に別のペットを飼うわけにもいかないという想像もつく。そんな人には確かにこういう保障が必要となるのかもしれない。

 しかし、生の半分を生き抜いた家族の死にあたって、「代わりのペットをご用意しました」というのは全く想像がつかない。我が家にももうかれこれ4年一緒に住む猫がいて、ときどき「こいつらが死んだら自分はどうなってしまうんだろう」と悩むこともある。でも、仮に自分がいつの間にかこういう保障制度に入っていたとして、亡くなった際に「代わりのキジトラとクロをお届けに参りました」なんて子猫を連れてこられたらそいつの顔をぶん殴るだろう。

 そう考えると、たとえお金持ちでもこの100か月保障を選ぶ人というのは、むしろペットを飼ううえで何かが欠けているのではないかという気がしなくもない。ペットショップという生き物を扱う商売がいろいろな仕方で非難されて久しいが、生体を売るペットショップを用いる生活者の側も、暗に自分たちの家族となるペットの命とその生を自分から値踏みしにいくようなことをしないよう、気をつけなくてはと思ったエピソードである。