個室にて

Ars Cruenta

暗い正義

 先日、「アダムズ・ファミリー2」が金曜ロードショーで流れていた。ちょっと忙しかったのだが、2は見たことがなかったということもあって作業をしながらテレビをかけていたのだが、2はもはやウェンズデーの物語が濃密すぎて、ベイビーのことなどぶっちゃけとんでしまうような感じだった。

 連続殺人鬼に騙されてサマーキャンプに送られることになるウェンズデーとその弟は、案の定「よいこ」を過度に演出するキャンプの雰囲気に嫌気がさし、数人ののけものたちとともに周囲から距離を取る。ところが場の空気を乱した彼らは最後、部屋に閉じ込められ、よいこの心を持つために朝から晩までディズニーを見せられるという、一種の拷問を受けるまでに至る。そこでウェンズデーは初めて笑みを浮かべ、この笑みが物語の伏線となる。キャンプでは感謝祭をモチーフとした劇が予定されておりウェンズデーらは七面鳥や先住民といった地位の低い汚れ役を担わされていたのだが、いざ劇が始まってみると、ウェンズデーは突如アメリカ先住民たちの苦悩と怒りを代弁し、汚れ役たちは劇の舞台に火を放ちあれもこれもとめちゃくちゃにしてしまうのだ。

 このシーンを見たとき、最初に感じるのはのけ者にされた人々が逆転する痛快さのようなものだろう。ただこの話は、力や特別な能力によって「正義」を名乗るものを叩き潰そうとする、単なるダークヒーローものではない。先述の通りウェンズデーがやって見せたことはただの武力蜂起ではなく、劇中では「アメリカ人」に都合よく描かれているアメリカ先住民の声を代弁している。この声を画面越しに見る人は、きっと彼女に共感するはずだし、その怒りがある程度は真っ当なものに感じられるはずだ。ウェンズデーはその瞬間、ダークではないヒロインになっている。

 なぜ彼女はそのようなことをしたのだろう、あるいはできたのだろう、と考えると、やはり背景には彼女のギロチンごっこなどの暗い趣味があるはずだ。死刑宣告を遊びでやってのける彼女は、その暗さゆえに虐げられた人々への目線を有している。そしてその目線とはまさに、サマーキャンプの大多数が持たない、あるいは喪失してしまったものなのだ。暗く汚れたものを見ないようにすることはいくらでもできるが、そうしていたら暗いもののみならず、日の当たらない陰への感受性をも失ってしまう。そんなことを伝えたいシーンだったんじゃないかとふと思った。