個室にて

Ars Cruenta

応援は少なくていい

 自分を応援してくれていると思っていた人に裏切られて半年ほどしてからだろうか、不意にインスタグラムのサジェストで出てきた無名のアイドルに何となく興味を持ちフォローしたことがある。今でも何となく何人かはそのまま残しているのだが、彼女たちは毎日のように自撮りの写真を載せて、人によっては煽情的な「今日も私のこと思ってくれた?」とか「ずっと私のこと好きでいてね」という言葉を並べる。そういう投稿に何百というコメントがつき、試しに自分でも似たようなコメントをしたこともある。几帳面な人は(事務所がやっているのかもしれないが)いちいちコメントに「いいね」を押して応えてくれる。けれど何度かやっているうちに、なんとなく「やはりこれは違うな」という気がしてしまう。

 なぜそう思うのかと言えば、アイドル本人が意図しているかどうかは別として、彼らのやっていることは結局のところ人集めにすぎないように見えるからだ。「~万人フォロワーありがとう!」という書き込みが典型的で、彼女やその関係者にとって私は~万人を構成する数のひとつにすぎず、今日自分がフォローを外したところで、新しく一人がフォローをすれば数は変わらない。当たり前のことだが、逆にもしそのアイドルが偶然凶刃に倒れたとしても、彼女は「無名のフォロワー」の「誰か」に助けを求めることもできないだろう。世間は「推し」という言葉がブームだけど、推しって購買力以外では意外と頼りない存在で、自分が勇気をもらっているとか、この人は特別だという気持ちが失せたらファンにとっても推しは簡単に推しでなくなる。「推し」を成り立たせているのがその場その場の気持ちの持ちようだとすれば、それはその場その場の気分で「お前こそが私の~」と言うようなものじゃないか。

 そうこう思っていると、アイドルにせよ普通の人にせよ、必要なのはただ単にうわべだけ「好き好き」と言ってくれる人を増やすことよりも、何も言わずとも見守ってくれたり、等身大の関係を保ってくれる人、何なら一時の感情ではなく自分のことを覚えてくれている人を増やすことなのではないかと思う。もちろん前にブログで書いたようにそれでも特別な人は特別な人なのだが、はじめに書いた通り自分が特別だと思っている人が本当に自分を特別だと思ってくれるとは限らない。