個室にて

Ars Cruenta

恵方巻の不思議

 毎年この時期になると、さぞ当然のように恵方巻の広告がどんと増える。毎年毎年笑ってしまうのだが、魚を食べられない人のためか、肉が好きすぎる人がいるためか、珍妙な恵方巻がテレビに映るのをどこか楽しみしている自分がいる。たっぷりのローストビーフにウニとキャビアを盛りつけた、もはやおいしさ優先というよりはバブルの遺構としか言いようのないような恵方巻まであるらしい。有名スーパーはどこかのお寿司屋さんを持ち出してきて○○監修などとうたっているのだが、大量生産で寿司屋や料亭の味は当然期待できないわけで、このお店は恵方巻を監修して自分の店に傷がつかないのだろうか、そもそもこの店本当に存在するのだろうか、などと思いながらテレビを見ている。

 起源はさておき、恵方巻が最近ここまでビッグイベントとなったのはコンビニやスーパーの涙ぐましい広告のおかげだろう。「作られた伝統」とまで言わずとも、実際にここまで大規模に恵方巻が売り出されるきっかけになったのは20世紀末のセブンイレブンやイオンの影響が大きいと聞いたことがある。

 ただ不思議なのは、恵方巻はほかの季節イベントと違って、消費者にとっては割かし苦労する行事ではないかということなのである。たとえばクリスマスにケーキやチキンを食べましょうというのなら、おいしく買ってきたケーキやチキンにかじりつくだけでよい。ハロウィンはコスプレをして街を歩きましょうとなれば、コスプレをしたい人がコスプレをして街に出るだけで、したくないひとはしないでいい。しかし、節分の日に恵方巻を食べましょうとなるとこうはならない。普通なら切って供される太巻きを一本丸ごと、しかも家族みんな同じ方向を向いて食べる。これはやってみると結構しんどい。しかも自分に選択権がない限り、夕食を太巻きに決められてしまう人も出てくる。恵方巻というのは実は、求められる行動の難易度とその不可避性の点で、ほかのイベントが求める消費行動よりもかなりレベルが高いのではないかと思うのだ。

 料理を作る側からすれば、夕食が一人一本の太巻きと決まるからメニューを決めるという意味では楽なところもあるのかもしれない。しかしこの寒い時期にただただ太巻きをかじるというのはしんどく、金にならないためかメーカーはイワシなど滅多に広告しない。我が家は、私が小さいころこそ汁物にイワシの塩焼き、太巻きという節分セットを食べていたが、いつの間にかやめてしまった。我が家のように恵方巻から降りる家はもっとあっていいはずだが、これだけ広告しているということはまだまだ売れているということなのだろうか。毎年不思議に思うところである。