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Ars Cruenta

36周する、そして1周する――「リバー、流れないでよ」考・初

 本日解禁、ヨーロッパ企画発の映画「リバー、流れないでよ」。2分間が繰り返すタイムリープモノとは知っていたものの、実際に見てみるとまさか36周もするとは思わなかったというのが正直なところだ。90分足らずの映画で2分が36周すると、ループ部分だけで72分。クレジットなども込みで考えると、繰り返していない導入と結末部はたった1/7しかないことになる。メインストーリーのすべてがループのなかで成立していく設計だ。一見しただけでなかなか面白かったので、以下に備忘録的にネタバレ満載の記録を残しておきたい。

(1)導入

 冬の貴船が舞台の本作。最初に長いケープを着たようなちょっと不思議ないでたちの女性が神社を参拝するシーンから話は始まる。うってかわって平和な旅館の「ふじや」の映像が流れ、締め切り間際で苦しむ作家先生と無理矢理風呂に入ろうとする出版社の男性、談笑しながら牡丹鍋を楽しむ二人組、そしてそれを支えるスタッフたちが順番に映し出されていく。主人公・ミコトが女将に言われて部屋の片づけをしたあと、物語の始まりとなる2分間のループが始まる。

 最初はそもそも「ループ」と気づかない人々の反応から始まる。これはデジャヴか? それにしてはあまりにも出来すぎている。いつまでも温まらない熱燗。女将は熱燗にこだわるスタッフに「その熱燗は二度と提供できない」とぴしゃり、自らも混乱するなか日本酒を一気にあおる。客室の二人組は「〆の雑炊がいつまでもなくならない」と愚痴をこぼす。作家先生は最初ループの意味を理解できず苛立っていたが、時間が前に進まず〆切が来ないことを知って仕事を放棄する一方、勝手に風呂に入っていった出版社の男はいつまで経っても風呂から出られず、ついには平気でタオル一枚で玄関へと出てこようとする。実はこのあたりが今作の「コメディ」の中心部分を構成しており、ここから次第に話はただのコメディではなくなっていく。料理人・エイジが事の次第をまとめておよそ3回のループをかけて説明した後、彼が「時間は戻っても人々の意識は繋がっている。だから喧嘩や諍いはやめましょう」といったところで、この2分間のループは次第にそれぞれの狂気を呼び起こしていくことになる。

(2)それぞれの狂気

 最初のトラブルが起こるのはだいたい15, 16回目のループ。ミコトが定位置に戻ると、仲良く雑炊を食っていたはずの二人が大声で怒鳴り合っている。これは後からわかるのだが、二人はもともと同じ大学か何かの学生で、ビジネスをきっかけにいろいろな事情があって別々の道を進むことになった古い付き合いだった。見ている人はここで、15に2をかける。普段生活をしていて何かがきっかけで喧嘩をすることはあるかもしれない。でも楽しく一緒に飯を食っていて、いきなり喧嘩をすることはないだろう。でも今は、2分間がひたすらループしているのだ。たった2分という短い時間のループが二人の関係を変え、一方が他方を殴るまでの関係になってしまう。

 同じように作家先生も奇妙な行動をとり始める。壺やノートパソコンを放り投げて壊したり、障子に穴をあけたりし始めるのだ。2分経てばすべては元に戻るのだから、これは楽しい実験だ。ほら、一度くらい破って見なよ、今しかこんなことできないんだから。ミコトは障子に指を突きつけるも、障子を破る寸前で時間が巻き戻り、障子を破らずに済む。破らなくてよかったのか破れなくて残念なのか、なんとも微妙な顔をするミコトだが、これが実はのちに起こる大事件と大きな対比をなしている。

 こんなトラブルに対応するミコトは当然嫌な顔をして、精神的に疲れていく。しかしそんな彼女のもとに、思い人のタクが現れる。タクは宿の若い料理人で、恐らくミコトとはそこそこ長い付き合いの思い人なのだが、ミコトは彼がフランス料理の修行のためにフランスに行こうとしていることを知っていた。二人は何度もループのなかで話をつづけ、ミコトがタクを想っていること、タクは一応の決心はしつつもフランス行きをなかなかみんなに言い出せないことなどが語られる。ここで、タイトルにあるようにミコトは「川がもう流れないでほしいと祈ったら本当に時間がループしてしまった」とタクに告げるのだが、これが同僚の耳に漏れてしまう。口封じをするにも時すでに遅し、「ミコトが何かをしたからこのループが起こっている」とみんなに知られてしまい、ミコトはタクとともに2分で循環する逃避行に向かう。

(3)リープしないはずの現実に向き合う

 ミコトは宿だけでなく、貴船の人たちから追われる立場となり、これを見ていられないタクは一緒にミコトと行動する。これが次第にミコトの「デートをしたい」という思いと重なっていき、二人の逃避行は「ミコトの願い」と重なっていく。しかしこれこそが本作最大の狂気なのだ。雑炊の二人はビジネスをめぐって言い争いをはじめ、書けない作家はまさに自らの小説の実験として物を放り投げていたのだった。リープする世界のなかでみんな、適当に狂っているわけではない。一番大事なものをめぐって狂っているのだ。ミコトとタクは「デート」を次第にエスカレートさせ、車を盗んで貴船口まで行こうとしたりし始める。

 その結果、川向の土地に立ったあるループで、とある猟師と出会う。この猟師は実は本作の冒頭で少しだけでてきて以降一切出ていないのだが、山の中で何度もループに遭い、それが何かも説明してもらえず、「鞍馬天狗に化かされている」とか、「自分の頭に銃弾ぶっぱなしたい」とかなり危うげな精神状態に置かれている。そんな猟師にすっかりデートで浮かれ切ったミコトは、「これはおじさんの夢ですよ」と応じ、あろうことか「私は天狗ですから」と彼の元を離れループを終える。

 次のループの冒頭、何もなくて平和だったはずの貴船に銃声が轟く。あの猟師が本当に自殺したのだ。さらに折しも悪いことに、定位置に戻ったミコトの背後で鈍い音が響く。振り返るとそこには血を流して倒れた作家先生の姿。ついに彼は実験のために自らの身を投げ出したのだ。この時点でミコトは自分がタイムリープの原因だという意識を強くしており、自分がみんなを巻き込んで死なせていることにようやく気付く。女将と番頭に「このままずっと続いてほしいと祈った」ことを謝罪したうえで、次こそは誰も死なせまいと態勢をとることになる。結果二人は次のループで息をとりとめ、ミコトは時間を前に進めることを決意する。

 みんなが見守るなか、ミコトは時間を前に進めるよう祈る。ところがループは再び続く。すると、次第に一人、また一人と、自分もこのままいたいという気持ちがあったと告白し始める。実はずっとこのままでいたかったのはミコトだけではないのだ。旧友と一緒に飲みたい、締切から解放されたい、それぞれの思惑は実は同じ方向を向いていて、そこからの「ループ」という強すぎる反作用が狂気を生んでいたのだ。じゃあ誰のせいで? そんなとき、料理人・エイジがついに原因を発見する。「このループの原因は非常に物理的なものです」と。

(4)「ねえ、未来は楽しい?」

 ループの原因は、貴船神社の境内でエンストしていたタイムマシーンにあった。未来からきたタイムパトロール・ヒサメは、実は最初に映っていた不思議なケープのお姉さんであった。このお姉さんは中盤で「機械に詳しい人はいないですか」とミコトのもとを訪れているのだが、ミコトは何も知らないので「私たちではよく分からない」と彼女をあまり相手していなかったのだ。エンストを直すためにバーナーでエンジンオイルを温めバイオ燃料の代わりにビールを使う計画で、宿の(ほぼ)みんなは一堂に会し協力し合う。

 実はトレーラーの最後に流れている「ねえ、未来は楽しい?」は、未来人のヒサメに対して話されていたものだった。ヒサメはこれに対し、未来は楽しいこと、そして未来の貴船はそこそこ栄えていることを伝え未来に戻っていく。タイムマシーンが正常に動いていなくなったことで、36周もしたタイムリープは終わりを迎える。36周した未来は実はみんなにとって、36周していた中で起こった様々な出来事が1周するときでもあった。女将と番頭は再び店を守る通常業務へ。タクがフランスへ行きたがっていることを察していた料理長はタクの背中を押す。雑炊を食べていた二人には再び話の尽きない友情が戻り、作家と出版社の男の間には小説をめぐる熱い議論が蘇っている。

 ラストシーン、ミコトはタクに「お参りしようよ」と誘いかける。境内の前に立つ二人、「何を祈るの?」と聞くタクにミコトは「タクが3年でフランス料理を修めて帰って来ること」と答える。この前にタクは「10年はかかる」と言っていたので、これは法外な祈りだ。タクは何かをお祈りしているのだが、実はその横でミコトはじっと立っている。一見するとよく分からない行動だが、きっと彼女は「そう祈らないこと」を暗に表明していたのだろう。つまり、「3年で帰ってこなくてもいいよ、でも帰ってきてね。」と。最後はミコトの顔がアップで映され、笑顔とも言えない彼女の真正面の顔で映像が終わる。これもきっと彼女なりの覚悟の表れで、36ループの結果決めた、迷いを再び1周したうえでの顔なのだろう。

 中盤で見せるミコトの異様な執着からして分かるように、ミコトはどうせ無理だと心のなかで思いながら、タクに思いを寄せている。そんな彼女が未来人に「ねえ、未来は楽しい?」と聞いたのは、別に二人の関係性を知っているから答えられるだろうという類のものではなく、ただ未来に何か縁を作りたかったのかもしれない。2分間という短いスパンをループするなかで、ミコトはその中で自分も含め人が狂っていくことを知った、ということは指摘していいかもしれない。毎日全く同じ仕事をして同じものを食べているとおかしくなっていくように、人はどこか、日々同じように過ごしているようでも、前に進まないとおかしくなってしまう本性を持っているのだ。そして日々変わらないように見える「貴船」という空間も、実はそのような彩があって成立している。ミコトもまた36周のなかで何かを消化し、1周回って結末を迎えるヒロインなのだ。

DVDプレイヤーが壊れて

 もうかれこれ15年以上使っていたDVDプレイヤーがうんともすんとも言わなくなってしまった。もうすでに数年前からDVDを読み取らなくなっていたのだが、テレビ番組の録画は出来たので意外と重宝していた。とはいえ、思えば今年度はよく物が壊れる年で、いろんなものを買い替えるのに結構なお金を使ってしまった。テレビも同じく古いので、最新のDVDプレイヤーを買ったところでどうなるんだろう。せっかく最近はネットでテレビ番組も見られるようになったんだから、しばらくは見送るかと、電気屋さんにはいかないことにした。

 結論から言えば、それでよかったのだ。家族でテレビ番組を見たいときは、仕事で使っているノートパソコンでTVerを開き、HDMIケーブルでテレビに接続すればよい。最近のノートPCはそこそこ性能もいいので、番組をいくつか見る分には充電も十分に持つ。TVerもログイン機能が付いたので、たとえばデスクトップパソコンでいくつか見たい番組をピックアップしておいて、ノートパソコンで同じくログインしてみるという方法も使える。東京が基準になっているものの、関西の番組も配信されているから、再放送でない限り「これが見たかったのに見られない」なんてことも基本的には起きない。

 DVDプレイヤーを使っていたときは、気になる番組をなんでも録画して、少し時間があればすぐに録画したものを見るような生活をしていた。しかしTVerを使うようになってからは、別に見なかったものは見なかったものだしと割り切った感じで過ごせるようになった気がする。そう、見なかったものは見なかったもので、妙に録画して「見ないと」となるより、此方の方が健全な視聴者でいられるような気がしてさえいる。逆に適当に検索してみると、自分が知らなかった面白そうな番組(特にローカルの番組)が見つかったりして、案外これも面白い。

 とはいえTVer民法各局の動画サービスだから、NHKはここには含まれない。木曜夜に放送される「えぇトコ」なんかは隙間時間によく見ていたのだが、この方式に切り替えてからは見ることがなくなってしまった。NHK+をチェックすればよいだけなのだが、DVDプレイヤーをやめてテレビを見る時間が相対的に減った分だけ、テレビ自体にアンテナを張り巡らせる時間も減ったような気がする。TVerだけでおなかいっぱいで、NHKまで手が回らないというのが実情だ。良い番組もたくさんあるはずだから、見たほうがいいものを見られるように、ちょっとは心がけたほうがいい・・・のか?

平日夕方のサイゼリヤ

 たまに夕方から飲みたくなるとき、ふらりと近くの駅前にあるサイゼリヤを訪れる。デカンタに前菜数品を頼んでも1,500円くらいで済むのだから、居酒屋でせんべろセットを頼んでプラス一品頼むくらいの値段だ。でも分量を考えればほとんどのせんべろセットよりたぶんお得だろう。たとえば500mLのデカンタに辛味チキン、ポップコーンシュリンプ、アロスティチーニで1,400円。500mLのデカンタと言えばワイン2/3本分、グラスにすれば4杯くらいはある。そんでもって前菜はそれぞれフルサイズなので、せんべろセットについてくる盛り合わせに比べれば量もあるだろう。サイゼリヤはやはり、コスパがすごい。

 平日、そうやってだらだらと過ごしているとあることに気づいた。夕方5時半ごろといえば早めの夕食をとってもおかしくない時間帯なのに、やってくるお客さんが自分のような一名客ばかりなのだ。人の注文をじろじろ見るのも不躾だからやらないが、聞こえてくる範囲だと、大抵みんながっつり食事というよりも、自分と同じようにお酒と何か簡単な前菜を頼んでいる。みんな考えることは同じことかと、何となく面白い感じがした。客層はこの時間だとどうしても女性が多いのだが、それにしても若い人も結構多い。小さな子供のころは全く意識していなかったが、昔からサイゼリヤはこういうところだったのだろうか。

 中にはなかなかの猛者もいて、グラスワイン一杯だけ頼んで帰っていく人もいた。これから決闘でもあるのかなとほろ酔い気分で考えながら、そういえばたまにではあるけど、人と会うのは緊張するからという理由でアルコールを入れる人もいるなあと思ったり。一人飲みは会話も何もない分、ふらふらといろんなことを連想ゲームみたいに考えるのが楽しかったりする。

 そういえば冬メニューに変わって、サラミと生ハムがメニューから退場してしまった。ワインに合わせる前菜と言えば王道だったのでかなりショックだった。円安などの影響だろうが、早く戻ってきてくれると嬉しい。あと、いつの間にか食後酒のグラッパもいなくなっている。昔イタリア料理を食べに行ったときに最後POLIを頼んで、「イタリアでは最後にこういうのを飲んですっきりする」という話を聞いていたものだから、グラッパがないのもなんだか寂しい。いつかまたしれっと帰ってきてくれることを祈ろう。

一人で飲む

 親が年老いていくと、家族もいずれいなくなる。友達がたくさんいるわけではないし、貴重な友達もいろいろな原因で滅多に会えなくなるかもしれない。そうなってくると、一人で楽しく生きられるようにならないと、などと暗いことをしょっちゅう考えるようになる。独りぼっちになっても楽しいことは何だろうと考えると、やはりご飯と旅かな。そんなことを言っているうちに、次第に一人で食べに行ったり飲みに行ったりすることが増えてきたような気がする。

 休肝日には大阪の駅ビルをうろついて、ちょっとしたご飯を食べて帰るようになった。昼からひと仕事をして夕方になると結構お腹がすいているもので、ビリヤニやらチャンポンを食べて1,000円くらいで済ませて帰宅する。それからもう一仕事して深夜に夕食にありつくという感じだ。また、時々思い立った時にちょろっと飲んだりすることも増えた。サイゼリヤデカンタのワインに前菜ばかり食べても2,000円くらいで済むし、梅田の角うちスペースで日本酒とつまみを食べるのもそこまでお金はかからない。こっそり贅沢をすることもある。近くに北陸出身の回転ずしチェーンがあり、あんまり嫌なことが続いた時、2回ほど訪れたことがある。酒も飲んでやりたい放題すると回転ずしでもそこそこの値段はするが、値段相応の満足感はある。

 最初は、サイゼリヤで一人飲むにせよ、時間をどう使えばいいのかよく分からなかった。ただ実際に飲んでみると、うまいなあと思っているだけで時間というのは案外過ぎていく。家族で食事をしていても、思えばそんなに会話はない。テレビの感想を言い合ったり料理の感想を言い合ったり談笑はするけれど、よくよく考えてみればそれがなくても食事は立派に成立するものだ。食べることはそれ自体で結構楽しいことで、そこにお酒が加われば「おいしいなあ」と「あと何食べようかな」だけで思考は割と支配されてしまう。むしろ人と話すことがない分、一人でせっせと食べて飲んで、ある程度の時間になるとさあ帰ろうとなる、良いお客さんになれる利点もある。

 思えば人と飲むときは結構だらだらと過ごしてしまいがちなので、こういう一人飲みは改めて食事との向き合い方を考える良い場になっているのかもしれない。今のところお店選びであまり失敗したことはないが、もし失敗したとしてもちょっと頭を打ったと思えばいいだけで、人に申し訳ないことをしたと思わなくていいのも、気が楽かもしれない。いやでも本当は気心知れた人とも、はじめましての人とも、みんなで仲良く飲めたらいいんだけど、とか思いつつ、また友達と会える日を楽しみにする気持ちは忘れずにいようと思ったりする。

ピリ辛ナイズド味噌汁

 職場でいつも休憩中にカップ麺やおにぎりを食べていたのだが、健康とお金のことを考えてここ最近はお昼に食べた味噌汁とご飯の残りを持っていくようにしている。ただそのまま味噌汁を持って行ってしまうと、どうしてもお昼ご飯を繰り返し二度食べているような感じになってしまう。そこで、最近はやりの「味変」じゃないが、サーモスの保温容器に味噌汁を入れるとき、ときどき調味料を足してピリ辛味にしている。思えば信州で牡丹鍋を作るとき、猪の骨と一緒に唐辛子を炒めたりするし、ピリ辛味噌チャンポンなど、味噌と辛みはそもそも相性がいい。まして最近すっかり寒くなってしまったので、辛味が入るほうが体が温まるのだ。

 とはいえ何を使ってピリ辛にするのかで、味は当然変わってくる。おそらく一番マイルドな辛みになるのはコチュジャン。甘みも強い味噌なので、そこそこ入れてもそこまで辛くはならない。ビビンバのソースにコチュジャンを入れてもガツンとは来ないのと同じだ。もっとエッジをきかせるならば豆板醤だが、豆板醤は炒めてこそ辛みが強く出るので、味噌汁にそのまま溶かし込む程度ではそこまで大変なことにはならない。意外だったのは、飯田の辛みそを入れた時のこと。もともと長野で一番焼き肉が盛んな街と言うことで焼肉に使うための辛みそがSAで売られているのを買ってきたのだが、焼肉とタレに負けないからさに作られているということもあって、豆板醤を入れるよりずっと辛みとコクのある出来栄えとなった。

 とまあ、こんな風にアレンジしていたつもりが、はたと「味噌に味噌入れてるだけじゃないか」ということに気づき、先日はサテ・トムを入れてみた。サテ・トムというのはエビをベースにハーブなども入ったベトナム食べるラー油で、これがバッチリと味噌汁に合う。ちょうどエビがベースなだけあって、スープに溶かし込むとトムヤムクンみたいな香りがするし、味噌とも相性が良い。サテ・トム鍋を思いつくくらいには美味しかった。だんだん辛みのある調味料が思いつかなくなってきたので、次は柚子胡椒とかだろうか。柚子胡椒も味噌と相性がいいから、きっといい感じになってくれるだろう。

湿布がはがれる問題

 わけあって、先日、整骨院に行くことになった。昨年から膝の調子がおかしく、静かな所で歩いているとポキポキと音が鳴るようになった。それからときどき痛みが出るようになったので、ひょっとして骨や軟骨に異常でもあるのではないかと思ったからだ。そうこうしているうちに昨年末、左の踝下あたりに強い痛みを感じ始め、膝と一緒に早めに見てもらわないとと思い、新年になってすぐ病院に行った。親子三人世話になるとは思ってもみなかった。

 レントゲンを撮ってもらったところ、幸い骨や軟骨に問題は何もなかった。問題は、筋肉と骨をつなぎとめる腱に炎症ができていることだった。ふつう私くらいの年でこうなることはあまりないらしいが、原因はつか痛み、要は職場などで階段の上り下りなど激しい運動が続いた結果生じているとのことだった。膝のポキポキはあまり気にしないでよいが、腱の炎症はおさえないといけない。注射もあるがまだ若いから、まずは湿布で様子を見ようというので、ロキソニンのテープを処方してもらった。

 これまでも、ときどき腰痛が起こり、そのたびにロキソニンのテープを貼るということはあった。ただ厄介なのが、今回貼る場所は踝の下と膝の頭、予想はしていたものの、ちょっとしたことで簡単にはがれてしまう。安静にしていても踝のあたりはふとした拍子にテープがめくれることがあるし、ましてや靴下をはいたりズボンをはいたりと言った挙措でもめくれる始末。なんだかんだ言って働かないといけないのでホワイトテープで固定しているのだが、それでも一日が終わって帰ったころにはテープごとはがれたりしていることも多い。ロキソニンのテープは一日貼りっ放しのものだから寝るときも貼っているのだが、寝相が悪いと必ずと言っていいほどホワイトテープからはがれてしまう。

 防水用の保護フィルムなども考えたが、あれも割と簡単にはがれてしまうし、足首用のネットも過去の経験から、あんまり患部を守ってくれない。足に問題があるとこういうところが厄介だ。とはいえテープを貼って寝てみると、これまでの違和感が嘘のようにすっきりした。もっとも、テープを貼らずにまたがちゃがちゃ動き回っているとだんだん痛くなってくるので、しばらくは続けないといけないのだろう。ただでさえ肝機能障害が心配なのに湿布貼り続けるのは怖いなあなどと思いつつ、何かいい方法を思いつきますように。

仕事道具

 小売りで働いていると、印鑑付きのペンとカッターナイフは相棒のようなものだと言えるだろう。ペンと印鑑は別々の人も少なくないが、何かを書くこととハンコはしばしばセットになっているので(例えば領収証のあて名書きとハンコ)一体になっているシャチハタのペンが便利なのだ。また、大量の段ボールを使って品出しをした後は、段ボールを片付けなくてはならない。そこでテープをいちいちはがすのではなく、ナイフでサクサクと糊付けを切り裂いて始末するほうが圧倒的に楽なのだ。ほかにも、ビニールひもを断ち切ったり、陳列用に段ボールを裂いたりするなど、結構ナイフは使う。

 今の職場に勤め始めて5年くらいになるが、そういえば一番最初「カッターナイフも持ってきてね」と言われて近くのお店でよくあるOLFAの黄色と黒のナイフを買ってから一度も交換をしていなかった。身の回りの小物を赤と黒で調えているので、そういえばこれだけ例外だなと思い、正月の初売りに乗じて新調することにした。それがこれ。(職場で自慢できなかったのでここで自慢する)

少し深めの赤に黒の刃とは、OLFAさん分かってるじゃないか、というかよくもこんなのあったな。海外製のオシャレナイフやいっそのこと装飾ナイフを使うことなども検討はしたのだが、海外製のナイフは歯の取り換えが面倒そうだし、装飾ナイフがのりでべたべたになっていくのを見るのは辛い。結局、実用面から言ってOLFAが一番使いやすい。

 しかし、新しいナイフの切れ味というのはぞくぞくするくらい感動的だ。スッとナイフが入って、絹のような滑らかさで切れると思わず笑みがこぼれる。なんせ5年間で何度か刃を折っただけなので、切れ味が相当落ちていたのだろう。良い仕事道具を持つと仕事にも身が入る。たまにはキッチンの包丁もしっかり研いでやらないとな。