個室にて

Ars Cruenta

哀しみをリセットして

 私は母語であろうが他国語であろうが、とにかく音を聞き取るのが苦手で、子供のころから人の話を聞き取るのに苦労していた。しかも音楽のように抑揚やリズムが加わると余計にダメで、「この歌詞が刺さる」以前に「こいつ何て言ってるの?」となることがしばしばだった。

 そんな私でも、ものすごく胸がキュッとなる歌詞がある。平原綾香さんの「Reset」という曲の最後である。言わずと知れた「大神」のエンディングで流れる曲だが、この曲の最後は「悲しみをリセットして」という一言で終わる。詩の解釈はよく分からないところがあるのだが、「悲しみ」という事態はすでに哀しいと思う出来事が起こったうえで、その出来事自体は動かしようがないことを示唆している。それにもかかわらず哀しみをリセットしたいというのがこの曲が最後に伝えるメッセージなのだ。そんなこと神様にしかできないじゃないか・・・そこでふと鳥肌が立つ。この作品の主人公アマテラスはラスボスを倒したところで、誰の悲しみも癒すことは出来ていない。神様にさえ求められないことをこの歌詞は祈っているのだ。

 妖怪はある種の天変地異と結び付けられてきた側面がある。妖怪というか、波の上に乗る老人などは直近の東日本大震災でも報告されたエピソードだ。そんな妖怪の「ザコ」として作中に登場するのが天邪鬼。ところが「大神」のED終盤ではアマ公ことアマテラス神が楽しそうに遊んでいる天邪鬼たちを見ながら攻撃するそぶりも見せずに素通りしていく姿が描かれる。神様は悪者を根絶やしにするわけではない。そのことを示した直後に来るのが「悲しみをリセットして」。これは製作者側の意図的な配慮によるものなのではないか、そんな感じがしてくる。

 神様にも祈れない事実は、自分が何か悪いことを経験したという過去である。腕をなたで切り落としたとして、神様は腕をもとに戻してくれるかもしれないが、腕を切り落としたという恐怖は戻してくれないのではないか、そういう発想がここにはある。これは一見残酷なようで、それなりに健全な発想なのではないだろうか。薬やライフハックで何とでもなるようなら、そうすればいい。ただそれが何を意味するかには気を付けたほうがいい、そんな気がする。