個室にて

Ars Cruenta

「可愛らしい人」

 最近、ちょっとインスタグラムを始めたのだが、可愛い女の子の写真が流れてきたのでいくつか見ていると、虫眼鏡アイコンを押すと可愛い女の子ばかりが流れてくるようになり、今度は黒猫の写真を見ていると黒猫で埋め尽くされ、調べる労をとらない検索の怖さを知ったところである。

 ところで可愛い女の子はばっちりメイクを決めていい感じの服を着て、人によっては胸元を強調したり髪の毛を一部分だけ染めたりして肉体の改造を経て可愛い女の子になっている。しかしこうした容姿の卓越だけが「可愛い」と評されるわけではない。たとえば「愛嬌のある」などと言われたりする可愛さは、必ずしも若者の身体美を基準としないところがある。むしろどれだけ服装やメイクをしっかりしても、横柄だったり社会常識を弁えなかったりするために、ばっちりきめた可愛さがハリボテになってしまう人もいるのだ。

 かといって、愛嬌がただの性格の良さからくるわけではない。それは性格の良い人を私たちがそれだけで「かわいらしい」などと呼ばないことからも明らかだろう。愛嬌は愛嬌なのだ。よく例にあがるのが農家のおばあちゃんなどが「かわいらしい」と評される例だが、あの愛嬌は何に由来するのだろうか。自分は「かわいらしい」おじさんになれるだろうかなどと思いつつ、今日も冷たいプレゼン資料と向き合っていく。