個室にて

Ars Cruenta

酔っぱらいを家まで届けた話

 ちょっと前のこと。以前訪れた立ち飲み屋に行ってみると、店主が温かく迎えてくれた。いわゆるL字型の角打ちで、酔鯨の秋上がりなどを頂いたのを覚えている。そうこうしていると角で飲んでいたおじさんが猫の話をしているのに気付き、席を変えて猫の話を色々としていた。まだ三杯目とのことだがだいぶ酔っているようで大丈夫かなと思っていたのだが、帰るとき店主が途中まで見送ると言っていると思えば帰ってきて、自転車に乗ろうとしてか、それとも自転車の重さを制御できなかったのか、転んだというのだ。

 だいぶ酔っていたのだが思わず走って駆け付けた。おじさんは意外と無事で、意識もはっきりとしていた。ただ本当に転んでしまい、よたよたしている状況だった。自分で色々考える前に私は「この人を送っていく」と店主に宣言してしまい、「ごめんな、お願い」と言われたらもう引き下がれない。初めて会ったおじさんの自転車を引きながら彼の家を目指していった。その道中は、決して不快なものではなく、かといって不思議なものだった。

 やぶにらみのおじさんはたびたび私の腕を握って「なんでこんな優しくしてくれる人がおるんやろ」と聞いてくる。何度も聞かれるから最初は「困ったときはお互いさまやろ」とか「まあたまにはええやろ」と適当に答えていたのだが、途中から、意外とこういう時間も悪くないような気がしてきた。別に正義のヒーローになったという意味ではない。ただ知らない人と知らない道を歩いてああだこうだと酔っぱらい同士話す。それも悪くないなと思ったのだ。もちろんこちらは送り届ける側だから、彼に何かあってはいけない。そういう着ぐるみはあるけれど、他の着ぐるみは一度捨て去って気楽に彼を送り届けることができた。

 家まで無事に辿り着いたら、そこは何軒かの家が並ぶ長屋のようなところだった。彼はここで一人で住んでいるんだろうかと思うと、猫が路地裏から出てきた。そうだった、これがおじさん自慢の猫だったか。おじさんはまた「なんでこんなに優しくしてくれるんやろ」と繰り返して、折角の新しい五千円札をくしゃくしゃにして渡そうとしてきた。「人間そういう時はあるんや」と五千円をおじさんともども投げ捨てて、これ以上話が伸びると同じ事になると思い飲み屋に戻った。

 時間にしたら1時間も一緒に話していないんじゃないだろうか。その酔っぱらいのおじさんと30分以上も一緒に二人で歩いた。なぜかその体験が脳裏にこびりついて離れない。お支払いもしていなかったので再び飲み屋に戻りもう一杯飲んで帰ったのだが、店を出ると、此方は相手を知らないが相手は此方を知っているスタッフの人が小走りに出てきてくれて、「お元気そうで何より」と握手をしてくれた。私は冬にマントを着ることがあって、それが珍しく覚えていてくれていたらしい。世間は狭いなと思いつつ、「町の人が温かい」という表現は今夜のような人間関係の連鎖反応で成り立っているのかなとふと思いながら帰った。私も酔っぱらいだが、この連鎖反応の中でうまく良い働きができる飲み方をしたいものだ。