個室にて

Ars Cruenta

ポイントの価値

 最近になって、げんなりすることがある。何でもかんでも、「ポイント」が巷に溢れすぎていることだ。各小売店(チェーン)がそれぞれのポイントカードを作っているかと思えば、クレジット会社もポイント、それと連動して電話会社やガス会社の契約にまでポイントが大きく関わるようになってしまった。結局これをうまく活用できるかは個人の自助努力に任されるようになり、「ポイ活」やもっと的を絞った「ウェル活」という言葉が次第に人口に膾炙する様になった。ポイントがたまって嬉しいという人は割と多いものの、個人的にはポイントが跋扈する世の中というのは端的に面倒くさくて詐欺的な世の中なんじゃないかと思う。

 というのも第一に、ポイントの財源の問題がある。たとえば1ポイント=1円で使えるポイントがあるとして、各会社はこれらのポイントをすべて「お客さんへのサービス」として自腹でもっているのだろうか。もしそこまで気前のいい企業があるならば、そのような企業は爆発的に儲けているか、あるいは自社の利益を積極的に顧客に還元した結果、会社の利益はかなり抑えられているはずだ。顧客へのサービスとして一部を負っているとしても、ポイント制度というのは潜在的に、「ポイントが付く分」をサービスに、つまり商品の代金に転嫁せざるを得ないのではないか。これはつまり、「ポイント制度がなければもっと単に安く変えていたかもしれないものが、ポイントが付くせいで高くなる」ということでもある。

 商品の値段が上がってもポイントが付けば一緒じゃないかという向きもあるかもしれないが、ポイント制度は使用範囲と有効期限という二つの点で、日銀が発給するお金に劣る。たとえば小売が独自に出すポイントカードの場合、そのポイントは同じ小売りのチェーンでしか使えない場合が多い。スーパーのポイントはスーパーでしか使えないし、一度にたまるポイントは少額だから、わざわざ会計のたびにポイントを使うということもない。ヨドバシカメラはポイントカード発祥の店だと自負しているが、10%ポイント還元で10万円の何かを買ったとして、貰ったポイント1万円をすぐに使うだろうか?(もちろんそんな人もいるのだろうが)

 さらに、ポイントにはお金と違って有効期限が設定されている場合が多い。なかには1年でポイントが切れる場合もあり、ポイントを受け取ることは明らかにその店や通販サイトに顧客を縛り付ける役割を担っている。この有効期限はポイントを使わせるのみならず、別の役割も担っており、たとえば老齢の人がポイントカードを持つ場合、その人の死後にポイントが3万点残っていても、有効期限が来ればポイントは消えてしまう。箪笥に3万円が残っていれば子供や孫がそれを見つけて生活の足しにできるかもしれないが、故人のポイントまですべて管理している子供や孫はあまりいないだろう。ポイントはいつの間にかはかなく消えていくものなのだ。

 ほかにもポイントのつく条件の煩雑さやそもそもの利用条件の変更を会社ができること(たとえば1ポイント=1円が3ポイント=2円に規約変更される可能性もある)など色々な事情があって、ポイントに振り回されるのは嫌だなと思う。ただ最近、梅田のとある店でスタンプ式の「ポイントカード」を見たときは、どこか懐かしい気持ちになった。ラーメンを10杯食べてくれたらサービスで1杯ごちそうしますね、というものなのだが、そこに素朴な、「御贔屓に」という言葉を見いだして、少しうれしくなってしまった。今では戦略ゲームのようになってしまったポイントも、元は常連客へのサービスだったのではないか。サービスがサービスであるようなポイ活なら、これからもしていきたいし、それだけ常連になれるようなお店をたくさん見つけたい。