個室にて

Ars Cruenta

やり直しと名前

 関西ローカルの「八方・陣内・方正の黄金列伝」という番組がある。有名な人を一人呼び、その人の人生がどのような軌跡を描いてきたかを幸福度のグラフを見ながら振り返っていくという、一種のライフヒストリーである。先日の放送ではデヴィ夫人の話をしていたのだが、そのなかで彼女の二度の改名をめぐる話がとても興味深く、同時にどこか胸を締め付けられるような気持ちがした。

 一度目の改名は根本七保子からデヴィ・スカルノになったとき。インドネシアスカルノ大統領の夫人になったという話は知っていた。ただこの改名の背景には、ずっと生活を支えてきた母と弟の相次ぐ死があり、それをもって日本に思い残すことがなくなって日本名と日本国籍を捨てたというのである。

 二度目の改名はデヴィ・スカルノデヴィ夫人になったとき。1970年のスカルノ元大統領の死去後、彼女は日本滞在時、テレビで「100歳以上生きている人」に関する番組を見たという。当時彼女は50歳、だとすれば100歳まで生きるならまだ倍の時間が残されていることになる。そこで彼女は過去とは全く違う生き方をしてみたいと考え、スカルノの名前を消して芸能界に入っていくこととなる。

 この二つの改名は、どちらも人生を大きく変わる節目に、自分の決意表明のような形でなされているように感じられる。しかしこれは、ただ人生が変わるというものなのだろうか。名前を変えるということは、改名を知らない人からしてみれば、これまでの自分の名前ではこれからの自分の行いが検索できなくなること、あるいはその逆を意味する。たとえば根本という名前を捨てることは今の若い人に、デヴィ・スカルノがもともと戦後の焼け野原に生まれたことを想像させなくするし、さらにデヴィ夫人という名前は彼女の夫の情報を消してしまう。そう考えるとこの改名は人生の転機というより、どこか人生の「やり直し」に近いのではないか。名前を変えてやり直す彼女の姿には、深刻な喪失のなかで新しい人生の道を見出す強いバイタリティがあったのだろう。

 この感想と呼応するかのように、この番組で出川哲郎は、夫人の恐ろしいまでのバイタリティとそれを支える細やかな観察眼と好奇心を絶賛していた。いつもバラエティ番組ですぐ若いタレントと小競り合いをする妙なキャラクターではあるが、彼女は芸能界入り後の幸福度がどんどん上がっているとグラフに表現している。このままデヴィ夫人としてのやり直しが幸福なものでありますように。