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Alexander Broadie(ed.), The Cambridge Companion to the Scottish Enlightenment(1)

 

The Cambridge Companion to the Scottish Enlightenment (Cambridge Companions to Philosophy)

The Cambridge Companion to the Scottish Enlightenment (Cambridge Companions to Philosophy)

 

  スコットランド啓蒙について知ろう! という論文集。スコットランド啓蒙の背景に始まり、宗教、科学、道徳哲学、政治・経済、法、修史、芸術について論文が載り、最後はヨーロッパ・アメリカへの影響と19世紀におけるスコットランドで締められる。

 イントロでは、ブローディーがスコットランド啓蒙の存在についての懐疑に対し答え、啓蒙の特徴を社会科学・自然科学・包括性に求める三つの立場を紹介したうえで、本書の論文とこれらの立場の対応を述べている。まあ、良くも悪くもイントロである。

 第1章では(1)スコットランドの地理、(2)政治経済・イングランドとの関係、(3)パトロン、特に第三代アーギル公爵の影響、(4)スコットランド人のコスモポリタン的色彩、(5)大学改革と団体・エディンバラにおける啓蒙(6)アバディーングラスゴーにおける啓蒙が解説される。簡単ではあるが、エディンバラアバディーングラスゴーでも啓蒙の毛色が少しずつ異なることなども紹介されている。

 第2章はヒュームを軸に啓示宗教と自然宗教を考えるお話。この論文集の中では、かなり重要な論文なんじゃないだろうかという気がするが、勉強不足でよく分からないことも多かった。トマス・ハリーバートンの「聖書に理性による評価なんていらないぜ」という立場から、17世紀における科学の成功をきっかけに、宇宙論的証明と同じくお馴染みのデザインによる議論が受け入れられていく様子が前半の主な論点となる。筆者は特に、神についての議論が神の存在のみならず神の属性をめぐる問題であることを強調し、サミュエル・クラークの議論を特に評価している。後半ではヒューム以後の「懐疑論」の受け入れられ方の変化(単にヒュームは宗教を否定しているのではなく様々な信念を懐疑しているのだから、そのもととなる考え方を攻撃すれば宗教的な信念も擁護できるんじゃないか、という考え方)から出発して、ケイムズやリードの反応などについて議論されている。例えばリードもまた、宇宙論的証明とデザイン・アーギュメントを並列して用いる点で、スコットランドの伝統に従っているとか。

 第3章は精神を解明する精神の学(pneumatology) が自然科学の一部として捉えられていたということが主な問題になる。それ以前は天使についても語っていた精神の学は、18世紀に入って私たちが充分に観察できる人間の心をニュートニズムのなかで解明していこうという考え方が中心となって広まり、このパラダイムの下でヒュームもリードも探究を進めている。まあでも、個人的には最終盤に出てくるデュガルド・ステュワートの「意識されていない記憶」に対するリードの反応のくだりが面白かった。リードにも意識されていない感覚なり何なりは、私たちが注意を向けることで意識することができる。それに対して、ステュワートの記憶は原理的に私たちが意識を向けることができない。そこにリードがステュワートの説を「仮説的だ!」と攻撃する理由があるのだという。

 第4章は、スコットランドにおける人類学めいたもののお話。ざっと読み飛ばしてしまったのだが、「人間の野生の状態を調べてやることによって人間について何か分かるに違いない」という考え方に基づき、野生児(wild children)や人類学的な報告に関心が持たれ、さらに男性と女性・人間と動物の異同からも人間本性についてのアプローチが行われていたんだよ、という話だったのだろう。議論の流れというよりも、ハチスンの動物についての考え方には興味を持てた。